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ガイとの生活が始まった。 ガイはどうやらルークの身の回りの世話をするように陛下から仰せつかっているらしい。 なぜピオニーがそう言うのかと言えば、ルークはマルクトにとって公賓と言って等しい存在だからだ。和平を果たした今、ルークの身の安全を保障しなければならない。かといってキムラスカを恨むマルクト人がいない訳ではなく、ガイはルークの身の警護をする任を与えられたのだ。 ルークは最初その説明を受けた時は不満だったが、ガイと一緒にいられるという点では良いと思った。 屋敷で朝っぱらからダンスの特訓と言うことも出来るし、のんびりとルークと談話をすることも出来る。 ガイが強く言われているのはルークの見聞を広げるためにちょっとした社交の場にルークを慣れさせるということが一番の目的らしく、それには欠かせないダンスの特訓を急ピッチで行っていた。 それに加え、ルークはガイの口から社交界とは一体どのようなものなのかと聞く。 「いいか、ルーク。社交界っていうのは貴族が集まってな、互いに利害が一致するための話をしたりする場でもある。ただ、そこで笑っていればいいって訳じゃない。そこで結婚する相手が見つけるっていうのが貴族の常例だからな。あんまりほいほい聞いていつの間にか婚儀を結ばれました、なんてことにはなるなよ」 「なんねーよ。そういうのって親の意見とかいるだろ?」 ルークは羽ペンを持った手で頬杖をついた。 インクがルークの着ているドレスに付きはしないかとガイは思いながら、ルークの左手から羽ペンを取り上げた。 「確かに親の意見は必要だが、社交界に出た貴族は大人とみなされる。お前が安易に返事を返せば、それはお前の身に降りかかって来るんだ。だからあんまり男に近付くなよ」 「……」 ルークはそれに真面目な顔つきになる。 ガイはなぜそんな顔をルークがするのか分からなかったが、ルークは深刻だった。 ガイがどうした、と声をかける前にルークが上目遣いにガイを見る。 「それってガイにも近づくなってことか?」 「俺か? 俺はお前に言い募ったりしないし、大丈夫だ。だから俺には声かけたり近付いたりしても問題ないぞ」 ガイが爽やかに笑って答える。ルークはなんだか胸に何か鋭い刃物が刺さったようで、目を伏せた。 ガイは近付いて良いと言っているのに何で傷ついているのかルーク自身分からず、それになんだかもやもやして落ち着かない。 だがガイはそれに気付かず、机の上に置かれたテキストを開いた。 「まずは社交の場のマナーを学ぶか。貴婦人の場合はなんか色々面倒な制約があってな」 「……うん」 ルークは久々にガイに会えて嬉しい筈なのに、この話を聞いてからなんだか落ち着かなくなった。 なぜだか悄然としてしまうのだ。ガイと喋っている間は楽しいし、グランコクマの街を見て回るのは狭かった視野が広がったようで気分が高揚する。 しかし一人で夜寝静まる時間になると、胸の中がもやもやっとして眠れないのだ。 ガイはすぐにそれに気付いて、ルークにハーブティーなりミルクティーを淹れたりしてルークを寝かしつけた。 それで寝不足に悩まされるということはないのだが、ルークはガイを見ているとだんだん無性に腹が立ってくるようになった。 ガイといるのは楽しいし、感謝すらしている。こんな自分の面倒をガイは嫌な顔一つ浮かべずに見てくれるし、何より親身になってくれる。 そんな彼に対して失礼だと思うのだが、毎日毎日ルークは我儘に拍車がかかっているような気がして仕方ないのだ。 「もう、やりたくねー! 毎日ダンスばっかでうんざりだっての!」 「おいおいルーク。そう言って昨日街を散策したとこじゃないか」 その前の日は剣術だってしたじゃないかとガイはルークに困ったように眉を下げた。 しかしルークは眉を吊り上げる。 「確かにそうだけどよ、その後絶対ダンスの特訓すんじゃねーか! 俺はもうダンスなんてやりたくねえ。社交界でいるとかそんなもん知るかよ!」 「……ルーク」 ガイの沈んだ声にルークは顔を逸らした。 自分だって我儘を言っているのは分かっているのだ。 本来ならガイは自分の仕事があって、今のこの時間はルークのためだけに割いている。 なんでこんなに気持ちが落ち着かないのだろう。ルークは酷く情けないという思いからガイに背中を向けた。 ガイは声をかけることもなく重たい沈黙が二人の間に流れる。 何でガイは叱らないんだ。余計ルークはみじめな気分になっているとガイが使用人から声を掛けられた。そうしてガイはルークに一言も断ることなく、その場を後にした。 ルークが振り返った後にはガイの姿はなく、ルークは顔を歪める。 「なんで……あんなこと言っちまうんだろ。ガイは俺のために言ってるって分かってるのに。俺に時間を割いてくれてるって分かってんのに……!」 「ルーク様は慣れないグランコクマの生活でお疲れなのではないでしょうか?」 ルークの大きな独り言に老人が答えた。ルークが振り返るとそこにはペールがいる。 気分転換に外でダンスをしたらどうだ、とガイが言ったので今日は外の裏庭でのダンスの特訓だった。 ペールが庭いじりをするのが趣味だと聞いているルークは少し顔が赤くなる。こんな弱音をペールに聞かれたのだと思うと恥ずかしい。 「ペールさん……」 「わしのことはペールで結構ですよ。あなたが来て早一週間あまりですか。里心が湧くのは当然のことでございます」 ペールが好々爺のように笑う。それはルークのことを責めてはいないというものだった。けれど、ルークは目を逸らす。 「俺、屋敷には帰りたいとは思ってない。むしろこっちの方が安心するし、出来たらずっと居たいって思う」 「それは、光栄でございます」 「世辞で言ってんじゃねーよ。本当にそう思ったから言ったんだ」 「ルーク様」 ペールは僅かに目を見張る。なぜならルークはいつだってこの屋敷にいるのが嫌だと言った具合にガイに文句を垂れているのだ。 ルークはそれを自覚しているから苦笑した。 「……でもガイにずっと居たいって言えば、あいつ絶対俺をここに置いてくれるだろ? 周りが文句言っても、あいつは一人で解決しようとする。だから俺は言わないんだ。守られてばっかは嫌だから、せめてこれくらい自分でどうにかしたいんだよ」 「あの方は過保護ですからなあ」 ペールが苦い声で言う。ペールにはルークの気持ちがよく分かった。 傍目から見ても分かるほどガイはルークを手厚く扱っている。 メイドたちはそれを見てルークは大事な賓客だと認識したようだったが、ガイの態度は賓客の対するものではない。 本当に大切な相手だからこそ、ルークを丁重に扱うのだ。 「しかしルーク様がこの屋敷を気に入っているとは驚きましたな」 「ペールの花があるし、……ここってなんかほっとするんだよな。バチカルとは全然違うのになんでだろうな」 ルークはペールと話していて胸の中が落ち着いていくのが分かった。 今ならきっとダンスの特訓も受けられるような気がする。 ペールは花のことを褒められて、幸いですと笑った。 ルークもペールの顔を見て、少しだけ笑みを浮かべると声が掛かる。 「ルーク! 久しぶり〜。元気にしてた?」 「アニス!? おまえどうしたんだよ。こんなとこで?」 アニスがガイの隣りで大手を振って歩いてくる。 ルークは歩いてくるアニスを目を丸くしたまま凝視した。 「最近ルークが塞ぎ込みがちってガイから聞いて、心配で来ちゃった♪」 「……ガイ」 「なんだか最近悩んでたみたいだからな。ちょっとした息抜きだと思って、アニスと喋ってみるのもいいんじゃないか?」 ガイはお見通しだ。ルークはそう思うと顔をガイから逸らした。 アニスはその様子を見ているとなんだか妙に不安になってきた。 まさかルークが本気でガイを好きな訳がないと思うが、何故だかルークを見ていると不安に駆られる。 じわりと背中に脂汗が浮かんだアニスはガイをどこかに押しやるように背中を押す。 「って言う訳で、私早速ルークに話を聞こうと思うんだー! ガイは向こう行ってて。ガールズトークに入るなんて百年早いんだから!」 「お、おい。勝手に決めんなよ。俺はアニスと話すことなんて別に……」 「ルークってば酷い〜! せっかく忙しい中アニスちゃんが遠路遥々やって来たっていうのに、さっきからお礼の一言もないし、グランコクマに来てから連絡すらくれないし! ルークは私のことどうだっていいんだ〜ひど〜い!」 アニスがルークに向けてけたたましく言い募った。来てたったの一週間あまりに手紙なんて普通に考えておかしいとは思うものの、アニスの姦しさに為す術はない。 ルークは顔を顰めて、渋々アニスの言葉に了承する。 そうしてガイはルークに頑張れよと声をかけるなり、いなくなった。 アニスはルークと話をするために庭園にある椅子に腰かけた。 ここは花を観賞しながら、ティータイムを楽しめる場所として設けたものである。 花に囲まれ、紅茶に舌鼓を打ちつつアニスはルークを見た。 「それで、ルーク。ここ一週間どうだったの?」 「どうって……別に。ガイからダンス教わってもらってるだけだぞ」 ルークはティーカップに口をつける。 何気に旅をしていた頃より所作が綺麗になっていてアニスは少し驚いた。 しかしルークは鈍いという所は旅の頃から変わっていない筈だ。そうそうあの鈍さが変わる筈がない。 アニスは直球で行くしかないかと思い、声をかける。 「ねえ、ルーク。まさかだとは思うけど、ガイのこと……好きなの?」 その瞬間ルークは口に含んだ紅茶を吐きそうになった。 なんとか飲み込み、顔を真っ赤にしてルークがアニスを睨みつける。 「ばばば、馬鹿なこと言ってんじゃねー!」 「だからまさかだとは思うけどって言ったじゃん」 アニスはこの態度を見て、煮え切らないと思った。 ルークはティアにさらさら気がないにも関わらず、いつもこんな調子だったのだ。 仲間たちはそれをてっきりルークはティアが好きだと見なしていたが実際は違う。 ルークはティアのことを恋愛対象として見てはいなかった。 一方ルークはアニスに訝しい目を投げる。 「俺をからかって、そんなに楽しいか?」 「からかってる訳じゃなくて、もしかしたらそうなのかもって思ったの」 アニスはえへ、と愛らしく笑うがルークの目は冷え冷えとしたものだった。 「へいへい。んで、そう思ったからなんだよ。俺の心配してたってことか?」 ルークは面倒臭そうにアニスに訊ねた。 すっかりご機嫌斜めだ。やはりアニスの思い過ごしだったのかと思う。 「ごめんね、ルーク。私の早合点だったみたい」 「それでガイを好き呼ばわりされたらたまらねーっての。そういうアニスの方がガイのこと好きなんじゃねーのか?」 「冗談!」 アニスは一蹴する。あまりにも即答だったため、ルークは目を瞬いた。 「今、なんて?」 「ガイが好きとかマジあり得ないって言ったの。冗談でも勘弁って感じ〜」 アニスは唖然とするルークを尻目に優雅に紅茶を飲む。 ルークはそれに眉を寄せた。 「嘘だろ。アニスはガルド大好きじゃん。結構いいとか思ったりしないのか?」 「……私、ルークに前に言ったよね。そもそも候補に挙がってないって。それは今でも変わらないよ」 「なんでだ?」 今のガイは別に息を詰まる思いも寒気がすることはない。 ルークは本当に不思議だったのだが、アニスはお持て成しに持ってこられたケーキをつつく。 「確かに今のガイなら問題はないけど、恋愛対象としては見れないね」 「それってやっぱ……」 冷たかった頃の影響かとルークは思った。ここの屋敷の使用人たちはガイが偽物と思って接している。この一週間ばかりでそれはよく分かってしまうのだから、アニスがガイのことを恨んでいてもおかしくはない。 表情を暗くしたルークにアニスはケーキをそっちのけで声を上げる。 「もー! ルークは気にし過ぎ!」 「でも、ガイはアニスの両親を人質に取ったとか言ってただろ?」 ルークは口にしてからしまったと思った。 これは思いだしたくもない記憶かもしれないとルークは口にしてからようやく気付いたのだ。しかしアニスは予想に反してけろっとしていた。 「口ではそう言ってたよ。だけど、ガイはそれを実際にした訳じゃないでしょ。それに私、ずっと不気味に思ってた。なんで私を脅迫しないんだろうって、グランコクマにいる間ずっと思ったの。でも、あの日ルークに向かって笑うガイを見て分かったんだ。ガイはずっとルークが大切でそうしてきたんだって。ガイから話を聞いてもびっくりするぐらい納得しちゃった」 「そういえば、アニスはガイのこと何にも言ってなかったもんな……」 あの時アニスだけが黙っていた。それはガイの言葉をすぐに信じたということだろう。 しかしアニスは口を尖らせた。 「でもガイに文句がない訳じゃないから。あんな脅迫されて、平気でいられる方がおかしいよ。ルークもそう思わない?」 「まあ、そうだけど」 言っていい嘘と悪い嘘があるように、ガイの嘘は言ってはいけない嘘の部類に入る。 けれど、最初からガイがアニスに頼んでいたら、ルークはきっと今ここに自分はいないような気がした。何かしらこじれてしまうような気がする。 ガイが口にしたのだって、ルークや仲間たちがガイから聞く準備が整って、自分たちから訊ねたのが理想的な状況だったからだと思う。 でなければ何処かで縺れて、自分はここにはいない。ルークはそう思うと、目を伏せた。 「だからってガイのこと恨んでる訳じゃないんだよ。むしろ今は感謝してるから、ルークが心配しなくても大丈夫」 「……そっか」 ルークは少し胸の重しが軽くなったような気がした。 明らかな引き攣った笑みにルークは自分では気づいておらず、アニスはルークの顔を覗き込む。 「ねえ、ルーク。ガイの屋敷で疲れちゃったりしてない? ガイってほら、ルークのことすぐに気遣うでしょ?」 「別に疲れねーよ。むしろこっちの方がゆったり出来て気が楽だし」 ルークはアニスから顔を逸らした。先程ペールに屋敷のことで言われたばかりでルークは決まりが悪い。 もしかしたらガイも同じような勘違いをしてやしないかと心配になってルークは次第にそわそわし始めた。 一方アニスはゆったりできてくつろげると答えたルークに目を見張る。 「でもその割には結構元気ないように見えたよ?」 「……毎日毎日勉強漬けでちょっと嫌になっただけだ」 元気がないというよりはルークは不機嫌だと言った方が正しいのだが、そう言えばルークが怒ることが目に見えているアニスは敢えてそう訊ねた。 けれどルークは顔をふいと逸らして、頬杖を付く。ガイのことが気になって仕方がない。 早くそんなことはないと言ってしまわないと、ガイが遠くに離れていくような気がして落ち着かない。 「本当に?」 「本当だって。バチカルでも勉強してグランコクマでも勉強すんだから嫌にもなるだろ?」 ルークの言葉の端々には苛々したような調子が取れる。 アニスは真意を量りかねて、ルークの顔を覗き込むのをやめた。 「なら、いいんだけど」 「……でもさ、我が儘だって分かってるんだ。ガイは俺の為に時間割いてくれてる訳だし、やっぱちゃんと教わらなきゃだめだよな」 ルークは口にしてこれがストレスの原因なんじゃないかと思い始めた。 きっと自分は勉強三昧の毎日に飽き飽きしてガイに八つ当たりをしてしまったのだろう。 それならきっと勉強中ガイに対して苛々するのも頷ける。 つまり自分の我儘なんだと認めてしまえば、答えはやけにあっさりして苛々が霧散するのが分かった。 しかしルークはガイがストレス発散する場を設けたにも関わらず、勉強をしたくないと喚いていた。 それは恐らく結局は自分がさっき言ったように勉強することには変わりないからだと結論付けるが、胸のもやもやは完全に消え失せた訳ではない。けれどこれ以上ガイに迷惑を掛けて、ガイまで自分を放り投げてしまうのではないかと不安のあまり、ルークは席を立った。 「俺、ガイに謝って来る」 「……いってらしゃーい」 アニスはその様子を見て、結局ガイが甘やかした結果ルークが我儘になっていただけかと内心呆れる。 しかし折角屋敷にお呼ばれされた訳だし、ということでアニスは出されたお菓子と紅茶をじっくり味わってからその場を後にした。 そうしてルークは急いでガイの元へ走っていく。ガイは自室で待ってるからなとルークに告げていた。 急いでガイの部屋に息を切らして入ると、ガイが少しばかり目を丸くする。 「ルーク。どうしたんだ? そんなに急いで」 「ガイ、ごめんな!」 第一声が謝罪の言葉でさすがにガイも訝しい顔つきになった。 一体アニスは何をルークに吹きこんだのだろうと疑うほどだ。 「俺、きっと勉強ばっかできっとガイに八つ当たりしてたんだと思う。情けねーよな」 「情けないことあるかよ。ルークは勉強しようっていう気がちゃんとあったって証拠だろ?」 ルークの言葉を聞いて、ガイは口元が綻んだ。どうやらアニスに言われた訳ではないと安堵し、心の中でアニスを疑って悪かったと謝罪する。 「でもガイに八つ当たりして、それで心配掛けた……。ごめん」 「じゃあ、遅れた分、きっちり文句言わずにやるんだぞ」 ルークはガイの言葉を受けると表情を明るくした。 ここでまた俺が悪いと言えばルークは引っ込みがつかないのはガイも分かる。 正直それを見抜けなかった自分が悪いと思うのだが、ルークの謝罪をする場を奪ってしまうのは気が引けるのだ。 それからルークは真面目に勉強をするようになって、ダンスも上達していった。文句を言わなくなってから目覚ましい成長をした姿を見て、問題なく社交界に出られそうだなとガイが太鼓判を押せる程だった。 あとがき ガイの自負は重たいです。ルークの成長を止める為にあるといっても過言じゃない。 あとルークがガイに放りだされるかもって不安がってるのはルークはガイに依存しているからです。ガイとルークはお互いに依存し合って成り立っているイメージがかなり強いです。まあ好きな相手同士だったら普通に依存度は高くなるのは当然かと思います。 それとルークがガイに対して苛々している本当の理由は話の始め辺りに書かれてます。分かりにくかったらすいません。ガイは親友という比重がでかすぎてデリカシーがないんですよきっと。 |