12
ガイの屋敷に来て一か月程経過するとルークのダンスは様になってきた。 初日は足元を見なければステップを踏めなかったルークが今や見ずともステップが踏める。 これは大きな変化であった。 「これなら人前でダンスができるぞ。よかったな、ルーク」 「……」 折角ガイからの惜しみのない称賛を受けてもルークは浮かない顔をしていた。 ガイは一応予想がついていたが、ルークに訊ねる。 「どうしたルーク。浮かない顔してるぞ?」 「今までのバチカルでやってきたことってなんだったのかなって思ってさ」 教え方でこんなにも差が生じるものだろうか。 バチカルでの三カ月やっても無理だったことが一か月で出来てしまったという事実にルークが首を傾げているとガイは肩を竦めた。 「どうせバチカルじゃ、マニュアル通りに教えたんだろ」 「まあ、ガイみたいな教え方じゃなかったな」 屋敷でルークが教わったのは鏡の前に立ってステップを取る練習をすることだった。 それが一番手っ取り早いと言われていたし、ルークもそれを信じていた。 けれどガイは一切そんなものは使わず、自分の足の動きをまず真横に立って真似させることから始める。 そうした後にある程度体が覚えると、ダンスに移す。その間に音楽は一切流さない。 そういう機材がないわけではないのに、なぜだろうとルークが思っているとガイは言った。 「そんなもん、感覚でいいんだよ。人によっちゃ、リズムなんてまるでないんだ。細かいことは気にするな」 「なんかすげー身も蓋もねえこと言ってんな」 ルークはガイのその発言に酷く呆れたものだったが、結局この方法で上手く行ったのだから文句は言えない。 「こういうのは相手と呼吸を合わせることの方が大事だからな。まずはリズムからなんて言う方が無理なんだよ」 「じゃあガイは俺に合わせてくれたってことか?」 ルークは呼吸を合わせたつもりはない。それはつまりガイがルークのリズムに合わせてくれたようなものなのだ。 「俺はリードする側の人間だから、お前が合わせてくれたってことだよ。ルーク」 「え?」 ルークは目を瞬いた。しかしガイは緩やかな笑みを浮かべる。 「ルークが俺に合わせてくれるからダンスが出来る。ダンスってのは二人の息を合わせることが一番大事なんだ」 「そういうもんなのか……?」 ルークはどこか腑に落ちない様子だったが、確かにアッシュとナタリアの二人は息がぴったりだったと思いだす。 ガイの足を踏まずにダンスを完遂したルークはまさにガイと息がぴったりだったのだろう。 それを考えると何やら胸が高鳴った。素直に嬉しい。やっとガイが褒めた言葉が耳に入って来るようだ。 密やかに喜ぶルークの横で、ガイは笑みを浮かべる。 「でもまあ、相手が俺だけっていうのもな。一度、社交界に出てみないか?」 「まだ俺マルクトの方のマナー分かってないぞ」 「そんなの大体キムラスカと変わらないさ。何より実践をやってみなきゃ、マナーの本質なんて分からないだろ」 ルークは口を噤んだ。ガイの言う通りではあるものの、ドレスを着て社交界に出るなんて苦痛だ。 それにガイは社交界と言っているが、ナタリアの言うパーティーとなんら遜色はない。 「俺がお前のパートナーとして参加するからそんな顔するなって。ただその場の空気に慣れてくれるだけでいいんだ」 「だけどよ……」 ルークは不安を隠しきれない。けれどガイはルークを安心させるように顔を綻ばせた。 「ルークはパーティーに参加しても、ダンスはしたことがないだろ? だから舞踏会で恥をかかないためにも、馴れといた方がいいんじゃないか」 「……そうだけど」 もし失敗したらガイが恥をかいてしまうんじゃないか、とルークは不安なのだ。 ガイなら絶対に一向に構わないという態度を取るのが予想できるが、ルークはそれを何としても避けたい。 また迷惑の二文字がルークに浮かんでいることが容易に分かったガイだったが、自分は公爵からルークを頼まれている立場にある。何よりピオニーからもルークに恥をかかせないように仰せ付かっているのだ。 ガイとしてもルークに恥をかかせる気は毛頭ないのだが、自分以外の相手とダンスをしなければルークはこれ以上上達が望めない。舞踏会とはつまり、色んな相手と踊ることを意味するのだ。 無論ガイはルークに何所の馬とも知れない相手とダンスなんてさせる気はないのだが、もしルークがダンスをしたい相手が見つかった時に困ると考えたのだ。それにダンスは最低でも一回は踊る。その時相手とダンスが出来なくてルークが恥をかいてしまうくらいなら、今のうちに練習した方が余程いい。 「ジェイドもお前のダンスに協力してくれるんだ。今度開かれる社交界に行くことはほぼ決まってる」 「初耳だぞそれ!?」 「今言ったからな。ジェイドの旦那も手伝ってくれるって言うんだ。そうそう、下手な踊りは出来ないだろ?」 ガイがにやりと口元に笑みを浮かべる。ルークはその様を見てガイを睨んだ。 「何でよりによってジェイドなんだよ!?」 「他に妥当な相手がいなかったんだよ。それとも、ルークはフリングス将軍が良かったか?」 なんだかこのガイの言葉を聞いているとルークは無性に腹が立ってきた。 なぜこんなに他の相手を進めてくるのだろう。ダンスはガイが教えてくれる筈ではなかったのかと罵ってやりたい。 「そんなの、いらねえ! ガイが俺のパートナーなんだろ。ガイでいいじゃねーか!」 「それはそうなんだがな。一度別の相手とペアを組んで踊っとかないと結構キツイぞ」 ガイはルークが自分と別の相手と踊る場合を想定して言っているのだが、ルークは目を逸らす。 「そうだとしてもよ、何もジェイドじゃなくたっていいじゃねーか。必ず嫌味の一つ言ってくるぜ?」 「それはないんじゃないのか。なんだかんだで、旦那もルークが大事だからな」 「……気色悪いこと言うなよ」 「悪い悪い」 ルークが白い目でガイを見る。ガイは苦笑して、取り成すように口にした。 「でもま、踊る気はあるってことだな?」 「……まあな」 それを聞くとガイはほっと安堵した様子を見せる。 ルークはそれに何で喜んでんだとガイを睥睨してやるのだが、ガイはルークに笑いかけた。 「じゃあ最初は俺で小手調べしてから、その後にジェイドだからな。俺と一緒に踊って見た感じで駄目だと思ったらすぐに引き上げる。いいな?」 「ガイが踊ってくれるのか?」 意外そうにルークが言えば、ガイは不思議そうな目を寄越してくる。 「当然じゃないか。もしジェイドの足をルークが踏んだりしてみろ。ダンスを教えた俺も、お前もただじゃ済まないぞ」 「こ、怖いこと言うなよな」 二人は冷やかに怒るジェイドを想像して、戦慄する。 ルークは残念なことにガイの言葉を否定できない。今でさえ十回に一回の割合でガイの足を踏んでいる。 前よりルークがマシになったのはハイヒールのかかと部分で踏むことはなくなり、つま先になったのだ。 致命的な怪我はなくなったものの、痛いことには変わりはなかった。というかガイはよく我慢しているとすら思う。 「そうならない為にもルークは不本意だろうが、試運転しないとな」 「俺は音機関じゃねえ!」 酷い言い草だとルークが憤然とすれば、ガイは肩を大仰に竦めた。 「似たようなもんだろ。始めはリズムが掴めずによく踏んづけるじゃないか」 ルークは返す言葉がない。ただむくれた様子でガイから目を逸らすしかできない。 するとガイがルークの手を取った。 「来週社交界がある。それまでにやれることはやろうぜ」 「……わーってるよ」 ルークはむすっとした様子でガイとダンスをし始める。 ダンス中は笑顔でとガイに何度か注意されたがルークはそれを正すことはなかった。 そしてとうとうその日がやってきた。 ガイ曰く試運転のダンスを披露するのはかなりルークは嫌だったが、社交場に来てそれも変わる。 今度は社交場に文句を言い始めた。 「息がつまりそうだな」 「そう言うなって。――では、お手をどうぞ。ルーク様」 ドレスに身を包んだルークにガイは手を伸ばす。 ハイヒールの高さは一般的に7cmが綺麗だと言われるが、ルークはそんな高いものは履けなかった。 精々4cmが限界である。その高さでもガイの身長には及ばず、ルークはぶすっとする。 しかし会場内に入ればさすがにルークも愛想笑いを浮かべて、ガイを盾に適当に話を合わせた。というよりは、ルークが話を合わせるまでもなく、ガイが勝手に一人で話を付けてさっさと挨拶を終わらせていく。 まさにルークの騎士といった出で立ちのガイを見ていたジェイドとアニスの二人は、それを意外だと思った。 なぜならガイは女性問題で色々と肩身を狭い思いをしているのだ。それがルークが関わるとその様子が一切消える。 とことんルークが大事なのだなと呆れた。ガイはルークを目に入れても痛くない程寵愛しているに違いないとアニスが結論付けると、音楽が流れ始める。 どうやら社交ダンスの始まりらしい。するとガイはルークの手を取って、一度お辞儀をして見せるとダンスを始めた。 ルークは最初こそは動きが固かったが、次第にガイに釣られて動きが柔らかくなる。 それにガイが笑顔を向ければ、ルークも随分リラックスしたようであり柔和な笑みを浮かべていた。 それを見てまた不安になったアニスはジェイドに訊ねる。 「……大佐、ルークは大丈夫ですよね?」 「ダンスなら問題ないと思いますよ。これなら人に見せていい水準に達しています」 きっぱりと告げるジェイドにアニスは首を振る。 「そうじゃなくて、もっと違うことですよ」 「違うことですか? 生憎分かりませんね」 ジェイドが白々しく答え、アニスはこのおっさんと睥睨する。 アニスがジェイドに睨みをきかしていると、一曲目がやんで、ガイとルークのダンスが終わった。 ルークは一回も踏まなかった嬉しさで、ガイを見上げようとするのだが声が掛る。 「ガルディオス伯爵様! 次はわたくしと踊って下さいな」 「抜け駆けは許さなくってよ! 次はわたくしですわよね?」 突如として現れた貴婦人たちにルークは押しやられた。最低でも十人はいる。 ルークはそれをぽかーんと眺めることしかできなかった。 ガイは苦笑して対応していて、女性たちは我先にと声を掛けている。 次第に女性たちの人数は膨れ上がり、ガイの姿が見えなくなった頃、ルークは心の中でやっとこれはなんなんだと思った。 ガイが女に言い寄られている。それは旅の最中でもあったがここまで酷くはなかった筈だ。 胸がずきりと痛む。ルークは言い知れない気持ちが湧きあがり、なぜだか泣いてしまいそうだった。 アニスたちはそれを遠巻きに見ていたが、ルークの変化には気づかない。ガイがまたやっていると呆れるだけだ。 ルークはそこから立ち去りたい衝動に駆られるのだが、足が縫いつけられたように動かない。 「ルーク様」 呆然としたルークに気付いたガイが女性たちを割って、歩いてくる。 ルークは声を掛けられてもただ俯くことしかできなかった。 「どうしました? 気分が優れないのですか?」 「……」 ルークは答えることすらできない。自分でも不思議なくらい声が喉を通らなかった。 けれど、目の前は不思議と歪み始めていて、ルークは自分が泣く寸前だと気付く。 こんな所で、しかも何故自分は泣こうとしているのだろう。ガイがそれに気付き、手を伸ばそうとすればガイの腕に女性が絡みついた。 「ガルディオス伯爵! さあ、わたくしと一緒に踊りましょう」 「……それは」 ガイは折角抜けたと思われた女性の壁にまた飲まれていく。 ルークはそこに佇むことしかできず、別の曲が流れだしたというのに動こうとしなかった。 ルークの異変に気付いたアニスが声を掛ける。 「ルーク。気分が悪いなら外に行こう?」 その一声を掛けられただけでルークは無言で頷いて、アニスと一緒に外に出た。 中庭にあるベンチに腰掛けて、ルークはぼんやりと噴水を眺める。 涙は辛うじて流さなかったものの、胸が痛い。 夜風はやけにひんやりとしていて、ルークの傷を抉るように沁みる。星が瞬いて、月は満月だった。アニスはその月に向かって両手を伸ばし、背伸びをする。 「あーあ、ガイって相変わらずモテるんだから」 「……やっぱ、ガイってモテるんだな」 アニスの言葉を聞いて、ルークは自嘲するように言った。予想はしていたのだ。 何せガイは旅先でも気障な台詞を女性に吐いては困っていた。 けれど、アニスはルークを見てぎょっとした。 「ルーク!? どうしたの? どこか痛むの?」 「……違う、痛くない……」 ルークは答えつつもはらはらと涙が頬を伝って落ちていく。 アニスはそれに嫌な予感がし、ルークは涙と共に苦しくなる胸にとうとう気付いてしまった。 「俺、きっと……ガイのこと好きなんだ……」 「……ルーク」 アニスが呆然と名を零す。 ルークはアニスに目を向けると、翡翠の瞳がゆらゆらと揺れて滲む様に涙を落した。 「……でも分かってるんだよ。ガイは俺のこと、好きじゃない……」 「……ルークっ。ごめんね……、ごめんね……!」 アニスは気付いた時にはルークのように涙を流していた。ルークがガイを好きかもしれないと何度も自分が示唆したせいだとも思ったし、何よりアニスはルークを手伝うことが出来ない。 ガイの意識を変えるなんて、そんなことはできない。アニスにはそんな力がなくて、ただルークの気持ちが痛いほど分かるだけだ。 決して結ばれない恋ほど、辛いものはない。 「なんで……、アニスが泣くんだよ?」 「私、ルークに何もできない。力になりたいって思うけど、私じゃガイの考えなんて変えられない」 アニスはぽろぽろと涙が頬を伝うと乱暴に手で拭おうする。 それを見てルークは余計胸が張り裂けそうになって顔を俯けた。 「なんで、アニスが謝んだよ……。好きになった俺が悪いんだ。分かってたんだ、ずっと……」 「……ルーク」 アニスが泣きじゃくりながら、ルークを見た。ルークは顔を押さえる。 「俺はガイの相手にはなれない。だって、ガイは俺を大切にするから、違う感情だって分かってんのに……、俺、駄目だな。履き違えたんだ。駄目だって知ってたのに、俺……駄目だな……って」 「ルークは悪くないよ。きっと……誰も悪くなんかないから」 アニスはそれを言うだけで精一杯だった。ルークは嗚咽交じりで泣き続けた。 次第にダンスの音楽は止み、ルークは泣いたせいで目が少し腫れてしまった。 アニスもまた目が同様に腫れていた。アニスは涙で濡れ切ったハンカチを顔に当てていると不意にルークから声が掛る。 「なあ、アニス。今日はお前のいる宿屋に行っていいか?」 「……いいよ。そんな顔でガイの屋敷に行くわけにはいかないしね」 ルークは小さくありがとう、と言った。その細々しい声にアニスはまた涙がぶり返しそうになるが、何とか明るい声を出す。 「取り敢えず大佐経由でガイに伝えてもらうよう行ってくるから、ルークはそこで待ってて」 「頼むな、アニス」 アニスは背中に乗せたトクナガを揺らしながら、ジェイドの元へ行く。 するとガイがジェイドに詰め寄るのが見えた。 「いい加減、ここを通してくれ」 「それはできません。それよりあなたは屋敷に帰ってはどうですか?」 「馬鹿言え。ルークがいないのに帰れる訳がないだろう」 ふざけるのもいい加減にしろとガイが少し声を低くする。 しかしジェイドは素知らぬ顔であり、ガイはルークが側にいなくてかなり憤っているようだった。 アニスはこれはすごいな、と呆れてしまうもののガイを残酷な人だとは思わずにはいられない。 けれどガイの事を知っているとアニスは彼を責める訳にも行かず、アニスはジェイドに声を掛けた。 「たーいさ v 実はルークとガールズトークで盛り上がっちゃいまして〜、今日一日ルークを借りるってガイに伝えておいて下さい〜」 「……だ、そうですよ」 アニスは柱に隠れつつ、告げると後ろ姿をガイに見せて去っていく。ガイはそれを見ると頭を掻いた。 「最初からそうだと言ってくれれば、俺だって怒らなかったぞ」 「あなたも大概ですね。ルークが関わると後先が見えなくなるのはどうやら本当ということですか?」 今までのガイの行動パターンを考えれば、それは簡単に導き出すことが出来る答えだ。 ガイはそれに眉を顰めることなく、言う。 「まだ疑ってたのか。……今日はもう屋敷に帰らせてもらうぜ」 「ええ、それではまた明日」 ガイはどこか疲れた様子で言うと、少し足元がふらついた様子で立ち去る。 余程ルークと一緒にいられないのがショックらしい。まあ確かに突然前触れもなくそうなれば誰だってショックを受けるかもしれないなとジェイドは思ったものの、あれはガイの行動に問題があった。 正確にはガイを取り巻く女性問題のせいなのだが、ガイも一応あれで自覚したのだろう。 女性たちの大半はルークが好きなのかとガイに詰め寄っていたし、それでルークが屋敷に帰らないと暗に言ったことくらいはガイは分かっている筈だ。 それより問題なのはルークだ。自分の本心に気付いたルークがそれ以降ガイと普通に接していくことは不可能のように思える。 もしもルークがガイを好きだと匂わせでもしたらガイはあっさりとルークを好きだと薄っぺらな言葉を並びたてるだろう。 それはルークが望む関係ではない。 さて、どうしたものかとジェイドは思考を巡らせた。 あとがき ルークがやっと自覚しましたね。ガイはもうあれですよ。言わずもがなですよ。 |