02
グランコクマに逃げ帰るように戻ってきたガイは、アニスとジェイドとティアに囲まれた。 港に到着した途端、連行されてジェイドの屋敷で相談という形をとる。 アニスの両親はモースの脅威がなくなった為、あの三カ月の間にまたダアトの教会に戻っていた。 そしてガイの屋敷を場所として選ばなかったのはペールのことがあったからだ。 きっと今のガイの姿を見たらあの老人は腰を抜かすだろうとアニスは思いながら、ガイに目を向けた。 「ルークってマジで女なの?」 「ああ…」 疲れた様子でガイが苦く答える。アニスとティアはそれを聞くと驚きを隠せないようだった。 しかしその中でもジェイドは冷静であり、ガイに言葉を掛けている。 「一体いつルークが女性だと知ったんですか?」 「イニスタ湿原でルークを助けただろ?あの時に初めて知ったんだ。それで言わないことを前提に俺もルークの腕輪をつけさせてもらったのさ」 そういえばルークはあの腕輪を隠している風だったことを思い出す。 そういった裏事情があったからなのかとアニスは思うが、ティアが疑問を口にする。 「じゃああなたはその時からルークと親しげに喋っていた…ということ?」 「暗い間だけな。俺のことが仲間に知られるのだけは何としても避けたかったんだ」 ガイの根回しっぷりには相変わらず脱帽する。 そういえばよく宿ですぐ明かりが消えていたかとアニスは思う。 そんなにも前からとつい呆れそうになるが、ガイは五歳の時からすでにルークを救う計画を実行していたのだ。 掛けるべき言葉はもうすでになく、アニスとティアはその場を後にした。 残されたガイも立ち上がろうとするが、ジェイドに呼びとめられる。 「ガイ。ルークが女性ならアッシュと完全同位体ではないはずです。大爆発は、起こらない筈では?」 「あんたもそう思うか。俺も一度はそう考えたんだが、ルークはローレライの声を聞いている。つまり、音素振動数が同じという点で問題があるんじゃないか?」 ガイが自分の考えを述べた。ジェイドはそれに眉を顰める。 「どういうことですか?」 「よく考えれば、俺の世界のルークも女性だったからな」 ルークは大きくなってからはガイに上半身裸を見せようとはしなかった。 そもそも服を目の前で着替えない。 一番決定的なのはケテルブルクのスパの時だ。 ルークは楽しみだと言いながらもスパには一度だって入らなかった。 ガイは泳げない所をティアに見せたくないのかとも思ったのだが、あれはよく考えれば考えるほどこちらの線が濃厚になる。 スパは温泉だ。浸かるだけならいいだろうとガイが何度か試しに誘ってもルークは首を頑なに横へ振った。 ものすごく興味がありそうなのに関わらず、ルークはいつも固唾を飲んで入らないと答えていた。 当時のルークは障気中和後であり、身体の一部分が消えるという恐怖があった。 だからスパに入りたがらないのだろうかと思う反面、複雑だ。 ガイもあまり積極的に入れとも言えず、ジェイドに至っては何も言わなかった。 仲間たちもただ泳げないルークが入りたがらないだけだと思った。 だが、こうした理由があったからだろう。 「……なら大爆発は起きてもおかしくはないですね。あなたの世界のルークは消えている訳ですから」 「そんなことはさせないさ。そのためにもフォミクリーをあんたは再開させるんだろう?」 ジェイドはそれを聞いてつい、眼鏡を押さえた。 「あなたは、本当に何でも知っているんですね」 「何でもって訳じゃないが、フォミクリーを再開させるには早い方がいい。レプリカの問題があるからな」 ガイが知っているのは自分の世界で行ったジェイドの動きだということだろう。 彼は未来を知っていると言ってもいい。 ジェイドはやっとガイの目的に気づけた訳だが拍子抜けしてしまう。 ガイはずっとルークの為にジェイドが動くのを待っていたのだ。 「あなたは、本当にルークが大事なんですね」 「あんただって大切だろう?」 ガイは肩を竦めて言うが、ジェイドはそれに虚を突かれた。 ルークが大切だとは気付いていなかった。だが、彼の言う通りかもしれない。 それに気付かせてくれたお礼というよりは、ジェイドはガイに忠告する。 「けれど、ルークはあなたの世界のルークではない。それは肝に銘じておいてください」 「分かってるさ。あいつはあいつでしかない。俺はただルークに生きていて欲しいだけなんだよ」 本来人に与えられるべき寿命をルークに全うしてほしい。 ガイからそんな気持ちが伝わってくる。 思えばこの世界にガイがやってきて十六年越しの思いだ。 そうそう軽くあしらえるものではなく、ジェイドはそれ以上何も言えなかった。 陛下に報告を終え、ガイはやっとの思いで屋敷に戻ると使用人たちがざわざわと騒ぐ。 これはガイの表情に驚いているのではなく、姿を見て怖がっていた。 そのため、ガイの屋敷にはお出迎えをしてくれるメイドや使用人はいない。 唯一の臣下であるペールだけが、ガイに頭を垂れるのだ。 しかしエントランスにガイがやってきても、ペールはやってこなかった。 一応帰ってくるという旨の手紙と連絡は寄こした筈だ。 けれどペールはいない。 どこかに出かけているのかとも思ったが、ペールはそんなことをしないだろう。 ガイは一人のメイドを引っ掛けて、相手が怯えるのもお構いなしに声をかけた。 「ペールギュントがどこにいるか知らないかい?会って話したいことがあるんだ」 「え…」 爽やかな笑みを浮かべる目の前の相手は本当に旦那様だろうか。 メイドの顔にはありありとそう書かれていた。この様子ではまともにガイの返事を返せそうにない。 もしもペールが屋敷にいるのだとしたら、彼がいる場所は二つあった。 彼の自室と、彼が手入れする庭園の二つに分かれる。 そしてガイは庭園の方が濃厚だろうなと思っていた。 ガイラルディア様が戻ってくる。 それを聞いた時にペールは愕然とした。 グランコクマでジェイド・カーティス大佐が帰還したというのにガイはその一ヶ月間ガイは帰ってこなかった。 代わりに入った報せはガイが自分たちと敵対関係を取ったかもしれないというピオニー陛下の言葉だ。 ペールはあまりのことで言葉すら出てこず、ただその場に佇んで深く頭を下げるのが精いっぱいだった。 そして敵になったと聞いたガイはジェイドたちと共闘し、ヴァンを倒して、三ヶ月間の旅に出た。 彼は敵ではなかったのだとジェイドの口から語られた時、ペールは酷く安堵した。 しかしながら、憎い仇と一緒に旅をするガイの考えが分からないのだ。 何か良からぬことを考えているのではないだろうか。 ピオニー陛下はあれはガイの意思でやっている事であって、俺からの命令は何一つないといっていたが嘘に決まっている。 ガイはピオニー陛下の言うことなら何でもかんでも聞くのだ。 今までの経験上、ガイはどんなに苦しくてもピオニーの言うことを聞く。 それは皇帝陛下に逆らったら、逆賊となることを恐れているようにペールには映った。 慰みにしては酷過ぎるその言葉にペールは自分が主を討つべきだと思った。 かつてガイがヴァンを殺したように、自分も考えを誤まった同郷を止めるべきなのだ。 和平が名ばかりのもので本心は常にガイは別にあった。 近くにいて気付かない訳ではない。彼はきっと仇の寝首を掻きたかっただけだ。 しかしペールは最終的にガイをこんな風にしたのは自分だと責めていた。 これではジグムント様に合わせる顔がない。 あの優しかった少年は、今や見る影もなくただの人の皮を被った泥人形のようだ。 そうした自責の念が起こると、ペールは主を討つことは不可能なのだろうなと諦めた。 何故なら、ガイがああなったのはペールのせいだ。ただ黙って見守るのは誰よりも簡単だ。 あの時ガイに両親の死体を見せなければ、マリィ様を助けることが出来たならと何度も考えるが、結局は無駄な事でありペールは庭園で剪定を行っていた。 これをすると不思議と気持ちが落ち着くのだ。 作業をしているから余計な事を考えなくてもよい、というのもあるかもしれない。 ちょきん、ちょきんと蕾を鋏で切り落とす。 蕾が地面に落ちていく様を見ていても、もうすぐガイが帰って来ることには変わりはない。 今ペールはどんな顔をして主に会えばいいのか分からなかった。 主を憐れんでいる自分は少なくとも主に会うべきではない。 けれどそれはどちらにしろ臣下として失格だった。 ペールが手を止めて、葉に触れる。葉は陽光を浴びて温かかった。 これがペールへのほんの慰みだ。 辛く目を伏せていると、足音が極力小さな音で近付いてくる。 これはまさしく、ガイだった。ペールは気付いていても、振り返ることが出来なかった。 そして足が止まる。 「ペール。精が出るな。もう剪定をする時期か。早いもんだな」 「…」 ペールはゆっくりとそちらに振り返った。 そこに立っていたのはジグムントより年若いガイの姿であり、顔には愛想のいい笑みが浮かんでいる。 その笑みを見ていると、ペールは郷愁に駆られた。よく旦那様も笑っていたのだ。 今のガイの姿はジグムントと重なる。ペールは思わず叫んでいた。 「申し訳ありません…!わしは、ガイラルディア様の側にいながら、出来た事はただ見守るばかりでした。ガイラルディア様が苦しんでおいでだと言うのに、わしは黙って見守るばかりだったのです。必ず御子息を守ると誓っていながら、なんと情けない姿でありましょうか」 ペールは深く頭を垂れた。本当に自分が情けなかった。 けれど、ジグムントはペールに歩み寄る。 ペールの肩に手を載せ、ペールはそちらを見上げた。 「こっちこそ、すまなかった。ペールが俺を見て不安がっているのは分かっていたんだ。だが、俺は自分のことを優先した。酷い事をしてしまったな」 「…ガイラルディア様」 重なっていたジグムントが離れ、今目の前にいるのはガイラルディアだとペールは知る。 彼は告げた通り、苦い顔をペールに向けていた。 「お前は俺と同じように、見守ることしか出来ない自分が嫌だったのを知っていたはずなんだ。だが、俺は自分の事で手一杯だった。そして今でもそれが最良の選択だったと思ってる。お前には悪いとは思うが、あの行動自体を否定するつもりはない」 「…どういうことですかな?」 今のガイは等身大の姿を現していた。自分を偽ることなくいる。 さすがに十六年一緒にいただけはあって、ペールはすんなりそのガイを受け入れた。 ガイから三カ月のことと、仲間を抜けた事は悪かった、そして今までずっと自分を支えてくれて感謝する、とガイは語った。 「そしてこれからも、俺を支えてくれるか?亡き父上や姉上たちの代わりに」 「…もちろんで、ございますとも」 ペールは深々と頭を下げ、年甲斐もなく涙が溢れた。 涙を流すペールにガイは申し訳なさそうに、ハンカチを取り出す。ペールはそのハンカチを受け取って、涙を拭う。やっとガイは自分を偽ることがなくなったのだ。 そしてそうさせたのがルーク・フォン・ファブレだとペールは聞いた。 ペールはその少女に感謝し、一度会ってお礼を言いたいと思った。 ガイは自分と同じように見守ることが嫌だったと言った。 それは自分と同じ苦しみをガイが味わったということだろう。 ペールはガイの言葉から出た違う世界を存外すんなりと受け入れた。 でなければ、不可解だったというべきだろうか。 ガイは幼い頃は剣術の稽古を嫌がって逃げてばかりであり、腕も拙かった。 それがあの一晩で著しく成長を遂げ、大人びたのだ。 その後もガイが知らない筈の知識を有していることはペールは知っていた。 一体どこからその知識がとよく不思議に思ったものである。 しかしガイの話を聞いて漸く分かったのだ。 ガイはルークを救い出したいあまりに、なりふり構わず、感情すら捨てた。 それだけをする相手であり、わざわざ別の世界へやってくる程だ。 もしルークに手出ししようという輩がいればガイは黙っていないだろう。 何せガイはルークと口にしただけで、彼女のことをいかに大事にしているか伝わってくるからだ。 今まで感情がなかった分、抑え込んでいた感情がわき上がっているのである。 ペールはそれを快く思い、感情が再び生まれた主にほっと胸をなでおろす。 これでやっとジグムント様やユージェニー様に合わせる顔が出来たというものだ。 しかし問題はこれからたくさんある。 自分でさえ驚いたこの主を周囲は受け入れることが出来るのだろうか。 ペールが思案顔をしていると、ガイは苦く笑う。 「ま、気長にやるさ。陛下のいびりも残っていることだしな」 ガイはそう告げると、ぐっと背伸びをした。 気付けばもう夕暮れである。それだけ長い間話をした。 思えばこんな背伸び一つですら、ガイは自分の前でやろうとしなかった。 かなり人間じみた動きを取るようになった主をペールは目を細めて見て、胸が温かくなった。 あとがき ペールの苦悩がやっと救済されました。長かったね、ペール。 十六年もずっとしかとするガイのスルースキルの高さはいろんな意味で恐ろしいです。 |