04
アニスとティアは意を決して、グランコクマにやって来た。 本来ならアニスはダアトに戻って、イオンの導師守護役としての務めを果たさなければならないのだが事態は急を要す。 アニスはイオンに手紙を送って、事の次第を報告するに留めて、ガイの職場へと向かう。 ガイの仕事場は宮廷のある一角だ。アニスはここへ来るのが今回初めてである。 アニスが本格的にグランコクマで出入りするようになったのは、アブソリュートでヴァンを討った後からなのだ。 ジェイドやイオンから仕事を言いつけられたり、ガイのことでグランコクマの宮廷に掛りっ放しだった。何よりアニスがあの一ヶ月間ほとんどグランコクマにいたのは、両親がグランコクマに住んでいるというのが一番大きい。 すっかり慣れた様子で歩くアニスの横をティアが背筋をすっと伸ばして歩いている。 オラクルの軍人で女性である二人は人目を引いた。 それは珍しいからだろうとアニスは思うが、誰もがアニスたちが向かう先を見てひそひそ話しこんでいる。 一体これはなんだろう。アニスはティアに目配せするとティアも不思議そうに首を傾げた。 しかし目的地に到着し、アニスが扉の前で立ち止まる。ジェイドは陛下に報告があるとそこで別れてしまっていた。 「ここにガイがいるのね」 「そうだね。よし、入って確かめよう!」 二人は扉の前で気合を入れた。やっぱり心のどこかでまた冷たいガイに逆戻りなんてことがあるんじゃないかと疑っている。 アニスが思い切って扉を引くと、そこには兵士たちが机を向かい合わせにして黙々と書類を処理する姿があった。 なんだか拍子抜けしてしまう。普通のただの仕事場だ。 アニスが中に入り、ティアがドアを閉めると奥の方から声が掛った。 「アニス、それにティアじゃないか。こんな所でどうしたんだ?」 「ガイ…」 書類が山積みになった机からガイののんびりとした声がする。 しかし姿が見えないので、アニスが訝しい様子で見ていると、その机にいるガイが席を立った。 「式典はどうだったんだ?かなり盛大なものだと聞いているが、あいつ緊張してなかったか?」 ガイは心配顔を二人に向ける。 やっぱり変わらないんだと二人は安堵した所で、ガイに鋭い目を向けた。 「実は私たち、ガイに話したいことがあるの。今すぐ話せないかしら?」 「今すぐはちょっと無理だな。見ての通り、仕事が立て込んでるんだ」 ガイの言葉にティアは辺りを見た。 確かにその通りで、どの机の上にも書類が載せられるだけ載せてあり、積み上げられるだけ積み上げられていた。 指先で軽く押しただけでも倒れそうだなとアニスは見ていて思ったのだが、それ以上にこの異常な空気が気になる。 何せこの部屋に入る前から、ガイの元へ向かうだけで兵士たちは信じられないような顔をしていたのだ。そしてこの部屋で働く兵士たちもアニスたちを見ている。 正確にはガイを見ていると言った方が正しいだろうか。 「っていうかガイ。何このどんよりした空気。すっご〜く居心地悪いんだけど」 「話せば長くなるんだよ、話せばな。俺の屋敷に行って話をしたい所だが、屋敷に行ったら行ったで、こことそう大差がないんだ。すまないが、ジェイドの所に行くか、どこか賓客室で待っていてくれないか」 ガイはエントランスにいる人に話をすればきっとその場所を提供してくれるだろうとアニスに言うと、書類をすべくまた椅子に腰かけた。 この仕事はアニスがガイに与えたといっても過言ではないので、ガイの言葉を了承してその場を後にする。 何も知らないティアはガイっていつもあんな仕事をしてて大変なのねと口にし、アニスは苦笑いをしていた。 そして賓客室を用意してもらい、アニスとティアはそこでお茶をのんびりと飲んだ。 ティアはどこか落ち着かない様子であったが、アニスはジェイドとあの一ヶ月間ほぼ一緒に過ごしたようなものでこういう持て成しには結構慣れていた。 「それにしても、ガイの言葉…気になるわね」 「え〜?なんか、ルークのこと言ってたっけ?」 アニスはクッキーを頬張る。さすがに王宮のクッキーと言うだけはあって、かなりおいしい。アニスは頬が落ちそうだとうっとりしながら、紅茶を口に流しむ。 いつかこんな暮らしがしたいものだと思っていると、ティアが眉を寄せた。 「さっき、アニスが居心地悪いって言った時にガイは自分の屋敷でも大差がないと言っていたわ。つまり、どこに行ってもガイはああいう目で見られるということではないかしら?」 「あれってやっぱりガイが見られてたんだぁー。でもなんとなく、分かるなあ」 アニスは呑気な調子でいい、ティアが首を傾げる。 「どうして?」 「だって、ガイって今まで冷たかったんだよ?それが突然あんな風になるんだもん。皆驚くよ。仲間の前ならともかくとして、あの過保護を宮廷でも発揮してるんだから、そうなるのは当然じゃない?」 ティアは目を伏せて、紅茶が注がれたティーカップを見た。 その中には自分が映り、ゆらゆらと揺れている。 「そういうものなのかしら?」 「ティアはあの冷たいガイとそんなに一緒にいなかったもんね〜。私なんてガイとルークが笑顔で喋ってるの見た時なんて、信じられなかったよ。なんかとてつもないことが起こる前触れって言うか、目の前にいるのはガイの別人とかいろいろ考えちゃった。今でもたまにそう思うよ」 アニスはそこまで言うと、紅茶をもうひと口流しこんだ。 そうして空になったティーカップを机の上に置く。 ティアはアニスの琥珀色の目を見る。 「でも、ガイと喋ってるとなんだか元からそういう人なんだって感じがするからすごく不思議。ティアもそうでしょ?」 「ええ」 ティアは曖昧に頷く。 アニスの言う通り、ガイは今までずっとそんな人間だったような気がするから不思議なのだ。 それは彼の言う別世界のもう一人の自分たちがそうさせているかもしれない。 ガイの口ぶりから自分たちはそちらの世界では仲間だったようであるし、その線は強いと思う。 だからこそ、こんなにも自分は今のガイに違和感を感じないのだろう。ガイからルークの心配を聞かされると、なぜだか酷く正当なものに聞こえて聞き入ってしまうのだ。 「おやおや。お二人もそう思っていたのは意外でしたね。私も不気味なほどガイが仲間のような気がして困っていたところです」 「大佐…!一体いつからそちらに?」 突然声が掛ったジェイドにティアが振り返る。 気付けばジェイドは部屋の中に入って扉の横に立っていた。 「つい先ほどですよ。―それと、ガイの仕事は減らすことにしました。思った以上にガイに風当たりが強くて、このままではあなたたちと話が出来ないようなのでね。あともうしばらくしたらガイが来ますよ」 「へ、へえ〜。そうなんですかぁー」 アニスが僅かに挙動不審になる。しかし風当たりが強いとは一体どういうことなのか。 そうアニスが頭を擡げていると、ノックの音がする。 ノックをしたのはガイであり、ガイは少し疲れた様子を見せて部屋の中に入ってきた。 「待たせてすまなかったな。それで話っていうのは、なんなんだい?」 「それより、ガイ。大佐から気になること聞いたんだけど、風当たりが強いってどういうこと?」 ガイに爽やかに訊ねられ、言葉が詰まったティアの代わりというよりアニスは自分の気になった点をガイに訊ねた。 それを聞いた途端、ガイが参ったというように目を伏せた。 「身から出た錆さ。今まで俺はアニスも知っての通り、冷たい奴だっただろ。それが三カ月の旅を終えて、こんな風に人並みの感情を持って戻ってきたから誰も俺がガルディオスだって思わないんだよ」 「それがどうして、風当たりが強いに繋がるのかしら?」 ティアが不思議そうに言えば、ガイが苦笑する。 「貴族の奴らは俺が疎ましいからな。本当のガルディオス伯爵はあのエルドラント戦で亡くなったんだと、そういう根の葉もない噂が蔓延るようになった。名ばかりの偽物を早々に失脚させようと必死なのさ」 「しかも運が悪いことにそれを妄信する輩が多いのです。ですから陛下はガイに別の仕事を与えようと今案を練っていらっしゃるんですよ」 ジェイドは運が悪いと言ったがそれはつまり自分たちの嫌がらせに相まって、ガイに皆が仕事を押し付けたということではないだろうかとアニスは肝を冷やす。 ピオニーだって別の案を考えているのは少なからず自分が行った行為でガイが今人生一代の危機を迎えていて、アニスはだらだらと冷や汗が流れた。 顔色が悪くなったアニスにティアは首を傾げる。 「アニス?どうしたの?」 「な、なんでもな〜い!それで、ガイ。ルークのこと気になってたよね〜。ルークってばアッシュと喧嘩してばっかりだったよ。ドレスも着たくないって言ってたし、私からしたらかなり贅沢な悩みっていうかぁ〜」 そんなんだからアッシュと衝突して、ナタリアが困ってたよとアニスは口早に言う。 聞いてもいないようなことをつらつらと述べるアニスにガイはよく覚えがあり、そもそもガイは事の真相に気付いていた。 「アニス。全部知ってるよ。ジェイドと陛下とアニスの三人が俺に山ほど仕事を与えたことをな」 「おやおや。ご存知でしたか」 顔が真っ白になったアニスに対し、ジェイドは漂然とした様子を崩さなかった。 ガイはあまりにも怯えたアニスに苦笑を浮かべる。 「別に怒っちゃいないさ。そうされて当然だとも思っている。だから、アニスが気を病む必要はないんだ。全ては俺の所為さ。それだけをアニスに言っておきたかったんだ」 「…ガイ」 ガイって本当に優しい。アニスはついつい瞳を揺らすと、ジェイドが口を開いた。 「じゃあ私の事も怒っていないということですね。いやーよかったです。ずっと心苦しいと思っていましたから」 「…あんたは本当にいい性格してるよな」 ジェイドは一瞬にして台無しな言葉をよく言ってくれる。 ガイは僅かに頭を振った後、ティアに目を向けた。 「ティアは俺に何を訊ねたいんだ?もしかしてルークのことで聞きたいことがあるんじゃないのか」 「どうして分かるの?」 ティアが目を丸くする。 ガイはティアが自分に訊ねたいことなんてルーク以外のことで見当たらないだろと思ったが、彼女にとっては驚くべきことだったのだろう。 思った事はそのまま口にせず、ガイは笑った。 「俺もルークのことで聞きたいことがあるからな。それでアニスからルークは喧嘩ばかりしていたと聞いたが、大丈夫なのか?」 「それは大丈夫よ。アッシュもルークに手を上げるようなことはしなかったから。ただ、そうね。ルークは女性としての自覚が足りないんじゃないかしら」 ティアがそういうと、ガイはやっぱりなと溜息をついた。 どうやらガイはルークがそうだと予想がついていたらしい。けれど、まあ誰でもそんなことは予想がつく。何せルークは今まで女らしい面はどこにもなかったのだ。 これからどうするつもりなんだろうなとガイが不安を漏らせば、ティアも不安ねと同様な答えを返す。 全く同意見な二人はルークの保護者か何かのようだと傍から聞いているアニスは思った。しかしガイは少し話題を変える様に声を明るくした。 「だが、ドレスを着たのは快進撃じゃないのか。ルークの奴、相当嫌がっただろ?」 「我々が屋敷に行った時にはもうすでにルークはドレスを着ていましたからねえ。ただ嫌そうにしているのはよくわかりましたが」 ジェイドの答えを聞くとガイが目を見開いた。 「あいつが、ドレスを着たのか!意外だな。旅の最中に遅かれ早かれ性別を公開する機会があるだろうといってドレスを勧めたらものすごく嫌がったってのに…」 ガイはそのままぶつぶつ呟いている。相当驚いているらしい。 しかしこの言葉は聞き捨てならない。これは恐らく三カ月の旅のことを言っているのだ。 「ガイ。その旅で、ルークに手を出していないでしょうね?」 「ドレスを勧めたには勧めたが、手は出してないぞ」 ティアに突然そう言われて、ガイが勘違いした様子で答える。 アニスはそれにヤキモキした様子で言った。 「そうじゃなくて、ガイはルークが女の子だって真っ先に気付いてたでしょ?その最中、全くルークに手を出さなかったの?」 「…全く、と言われると困るな。君たちも見ての通り、俺は嬉しさのあまりにルークを抱きしめちまっている訳だし…」 ガイが顎に手を当てて、思案顔で答えた。 アニスはそういうハグの類はいいから、別の事でと言うとガイは唸った。 「別の事って言われてもな。旅の最中、毎日同じ部屋で寝てる時点で色々問題があるだろうが、手は出してない。これは約束する」 「信じていいの?」 ティアが鋭い目をガイに向けた。ガイはそれに頷く。 「ルークに手を出すなんて、そんなことはしない。なら、俺は一体何のために、ここにいるのか分からないからな」 ガイの言葉はとても重いものだった。アニスは目を伏せる。 これはガイにとって酷い言葉だ。ガイはルークの為に感情を捨てて、この十六年もの間、ルークのことだけを思ってきたのだ。 ティアも辛く目を伏せる中、ジェイドは訊ねる。 「なら、どうして別室にしようと言わなかったんですか。三カ月もの間ずっと同じ部屋で寝泊まりしたんでしょう?」 「それは…、ルークの奴に押し切られてな。情けないが旅費も少なかったし、同室の方が安いだろってルークに言われて、俺も返す言葉か無かったんだ。だが、やっぱり不味いよなあ」 ガイが困り顔する。アニスは結局全ての元凶はルークなのかと呆れた。 だからあんなにガイのことを庇っていたのかとすら思う。 悪いことだとルークは自覚してなぜガイに無茶を振るのだろうか。 ガイはルークには絶対的に逆らえないと言うのに、何を思ってとそこまで考えてアニスは気づいてはいけないことに気付いてしまった。 (もしかしてルークって…ううん、もしかしなくても…ガイのこと好きだったりするんじゃない?でも、三カ月も同じで手を出さなかったガイを見ると、どうもガイってルークに恋愛感情ゼロだよね〜) 出会ってすぐにルークのことを心配し、口を開けばすぐルークというガイはやっぱりまるで恋愛感情を感じられない。 これは最早、恋人を心配するというよりは自分の可愛い愛娘を心配するようだ。 思えばガイはかなり自責の念が強いらしく、一番ルークの傍にいたのに何もしてやれなかった自分を悔いているようであった。 こうなると、かなり恋愛とはほど遠いものを感じる。 ガイはルークに家族の温かさを見出しているのではないだろうか。 初めてガイがルークに向けて笑った時、あの安心する笑みを見てなんだか酷く安心したのだ。 それはまるでアニスの両親がアニスを慰めてくれる時に微笑んでくれるような温かさであった。 しかしガイに恋愛感情がないだとすると、ルークはかなり可哀想である。 「さて、もう聞きたいことはないな。俺は仕事が溜ってるんで、そろそろ行くよ。また聞きたいことがあったら、遠慮なく聞いてくれ。じゃあな」 ガイはアニスの内心を知ってか知らずが、その場を去っていく。 ティアはルークの気持ちには気づいていないようだが、ジェイドはどこか知っているようでアニスを労わるような目で見た後その場を後にする。 仕事が忙しいの何のと言って逃げていくジェイドにアニスは内心舌打ちし、一人でこの問題を抱えるのは辛い。 かといってティアに話す訳にもいかず、アニスはすぐにバチカルにとんぼ返りする羽目になった。 あとがき アニスって貧乏くじを引きやすいですね。 ガイは女性たちに問い詰められている筈なんですけど、予想に反して一枚上手でした。 人間全くそんなことしてないと言われると怪しいと思いますが、ガイは一旦全くはしてないとは言い難いと言った後に、ルークに手出しはしないと言っているからすんなり入るんだと思います。 それか年の功とか言うやつかもしれないですね。 |