06


ガイは陽が昇る前に目を覚ます。それは日課であった。
長年の使用人生活が身について、ガイは朝早く起きることに苦痛を感じない。
それはこちらの世界で第二の人生を歩んだ時も同様で、その当時子供だったと言うのに朝起きが得意だった。
今では別に使用人でも何でもないので、剣術の稽古を欠かさずにやっている。
そして多忙な毎日なため、書類に目を通すというのが新たな日課になりそうだ。

ガイはなんともなしに剣術の稽古の後、朝食を取るのだが、使用人たちがどこかよそよそしい。
理由はガイが一番身にしみて分かっている。要は使用人たちはあの噂を信じているということだろう。

ヴァンを討ち、ローレライを解放した日を境にガルディオス伯爵は死んだという噂だ。
ヴァンと同郷であるガイが死んだことになれば、不安が一気に取り払われて安心できる。
そんな理由で広まったくだらないものだ。
しかしガイの性格がまるっきり変わった今となっては、その噂はかなり厄介だった。

今ガイはフォミクリーの技術で作られたレプリカだの、他人の空似だの言われている。
一番多いのは他人の空似をジェイドが探しだして、さも亡霊が生きているように装って、議会を牛耳ろうとしているというのが最も多い。
現にガイとジェイドはなんだかんだで交友も深く、フォミクリーの件で話すことが多い今、その噂をさらに拍車をかけているのが現状であった。
いっそのこと前みたいに戻ってみてはどうですか、とジェイドが提案してきたことがあったが、そんなことをしたら最後、例えジェイドが演技だと分かっていたとしても他の仲間からの信用を一瞬のうちに失うだろう。
何よりルークが騙してたのかと悲しげな顔をするのが目に浮かぶ。すぐに誤解を解いた所で色々蟠りや確執が残るその道を誰が好きこのんで選ぶだろうか。

長く生きた分、人の本質というのは良く分かっている。
裏切られたと思ったら、人は最後なのだ。
自分と異質なものを嫌い、同意するものを人は常に求めている。
その中でもルークはかなりのお人よしだったと、ガイは思う。
裏切っていたと言っても過言ではない自分を信じると言い、ルークは本当に最後まで信じてくれた。
だからガイもそれに応えようと思い、最終的にルークが大切だったと認めるまでに至ったのだ。
一度家族を失っているガイにとって、また新たに大切な人が出来るというのはかなり勇気のいることだった。
屋敷での間、ルークとまるで兄弟のように、時には親のように見守って側にい続けたガイだったがいつだって、ルークを怖がっていた。
躊躇なく自分の懐に入って来るルークは、酷く温かくて、ガイにはとても眩しいものだった。

その手をもう一度掴むチャンスが与えられた今、ガイは決してもう離そうなどとは思わない。

そして今バチカルに行けないというのは酷く歯痒かった。
自分がしでかしたことの大きさを考えれば、それは当然のことだ。
ルークは公爵家の令嬢であり、自分は没落貴族と言って過言ではない低流階級の貴族である。
しかも最近やっと名前が売れたかと思えば、その名前の売れ方は碌でもないものであり、いくら功績が凄かろうと成り上がり貴族以外の何物でもない。
そんな相手と三ヶ月間旅を許可してくれただけでも、かなり寛容な処置だった。
だが、ルークが女性だと知らなかったアッシュが想像以上に過保護になっているのが問題だった。
アッシュは分かっているのだろうか。アッシュの傍にいれば、確実にルークの寿命は短くなる。
それを考えただけでガイは頭の中がじりじりと焼けていくのが分かった。
本当にあいつは俺の邪魔しかしないなと、つい隠微な色を目に宿す。

(一体どれだけ俺から大事な物を奪えば気が済むんだ?さすがはファブレ公爵の子だけはあるってことか。蛙の子は蛙ということなら、俺がすることはたった一つだ)

ガイはつい帯剣した柄をぐっと力を込めて握るが、ふとあの時帰還してきたアッシュの顔が過る。

『おまえには、すまないと思っている』

どの面を下げて、そう言うんだ。ルークの命を喰らったお前が、言うのか。
散々屑だと罵った相手に助けられて、お前はどう思っている。
助けてくれと言った覚えはないと言うつもりか。そうなんだろう。

ガイは罵ってやろうかと思ったのだが、アッシュの顔を見て気付いてしまった。
確かにルークは帰ってきている。アッシュの中にほんの少しだけ、生きていた。
それは何と、残酷なものだろうか。

戻ってきた彼は確かにほぼアッシュに近い状態であり、ナタリアと結婚した。
次第にガイに向けた表情は消えて行って、最終的には何もなくなったが、ガイはその時に思い知った。

(ルークは……アッシュを助けて、場所を返したかった。そして自分の本当の居場所が欲しかったんだ)

あの泣きだしそうな顔が今でもついて離れない。
すると先程までの激情はすっかり納まっていた。
不思議なくらい胸の内は穏やかで、ガイは宮廷へと足を進める。

つい、馬鹿なことを考えてしまった。
焦ったとしても結局は以前自分が言うように身から出た錆だ。
今になってもっと違う方法でルークが救えたんじゃないのかと考えるようになったが、また一生を掛けて救う方法を考えるのはさすがに気が引けた。
気力がないのかと言われれば十分すぎる程あるのだが、それは今のルークを軽んずるものだ。そんな行為をガイは許せる筈がない。
ルークは確かに今を生きている。精一杯生きようと、旅の最中も色んな物に興味を向けていた。
ルークが一番興味が惹かれるのはやはり剣術で、まるで女性らしくなかったがガイはそれを好ましく思う。
なら今度はルークに好きなことをさせてやろう。今はその地盤固めに集中した方が後々の自分にとってもルークにとっても、いい結果となる筈だ。
じっと耐えるのはこの十六年ですっかり慣れた。

ガイは勤しんで仕事に向かう。いつもの見慣れた廊下をガイが歩いていると庭園に困り顔の女性を見つけた。
以前のガイだったら、当然素通りしただろう。しかし今は自分を偽ることなく生きると決め、女性は大切にすべきだという考えがガイにはあった。

「どうかなさったんですか? 私でよろしければ、お力になりますよ」
「……それが、祖母の指輪を失くしてしまって……」

青い顔で答える女性は庭園に植え付けられた鉢植えやら花壇を探したのだろう。
ドレスや手のあちこちが泥で汚れていた。
そういえば、昨夜にちょっとしたパーティーが開かれたかとガイは思い出す。
ガイは仕事で忙しくてパーティーなどには顔を出す暇は一切なかったし、そもそも嫌われ者の自分はお呼びではない。

「どんな指輪ですか?」
「三カラット程のダイヤがついているんです。確かシェリダンでオーダーメイドで作ったとか……」

ガイはシェリダン、とつい目を見張る。
これは見ない価値はないぞと、内心息を巻く。 しかもオーダーメイドとなると、きっとかなりの趣向を凝らす代物だろう。
そうなるとガイは女性が失くした話を根掘り葉掘り聞いて、積極的にその失くしたと思われる場所を徹底的に探した。
そして女性が言っていたように、花々の咲き乱れる花壇からガイは指輪を見つける。
想像以上の出来栄えだ。ガイはそれに見入って、綺麗にハンカチで丁寧に拭いて行く。
ぴかぴかになるまで磨いて、じっとこちらを見ていることに気付いたガイは慌てることなく、にっこりとほほ笑んで女性に指輪を差し出した。

「これがあなたの指輪ですね。とても綺麗な細工が施されている。きっととても大切なものなのでしょう。あなたの祖母はお美しい方だったのでしょうね」
「……ええ、祖母はとても美しかったと聞いています。それに比べて、私は……」

女性が睫毛を翳らせると、ガイはその女性の指にすっと指輪を通した。

「あなたも、とてもお美しい。よくその指輪がお似合いだ」
「まあ……」

女性の頬がほんのり赤くなる。
ガイはそれに気付かず、では私はこれでと愛想よく笑って去っていく。
そしてその指輪をガイが見つける過程から見ていたジェイドが物陰から出て、ガイに連れ添って歩いた。

「女性を誑し込んでどうするつもりですか?」
「誑し込むなんて人聞きが悪いな。俺はただ彼女が困っていたから助けただけだぞ」

平然と返すガイは素面で言っているのだろう。ジェイドは思わず目が点になりそうだったが、辛うじて眼鏡を押さえた。これはもしかすると、ガイの新手の手法なのかもしれない。そう言い聞かせて、ジェイドはガイを注意深く見る。

「本当は何か裏があるんでしょう? 私を誤魔化せると思っているんですか」
「……やっぱりバレたか」

ガイはお手上げだと言った具合に肩を竦める。
ジェイドはこれは何かの策略だと思ったのだが、ガイから拍子抜けするような言葉が聞こえた。

「実は彼女が探してた指輪がシェリダン製の、しかもオーダーメイドでね。これは一目見なきゃって、つい職人魂に火を付けちまってな。本当にすごい細工だったよ。ジェイドの旦那も見て損はないぞ。あれは滅多にない綺麗な細工だった」
「……お断りします」

それにしてもガイは本気で言っているのか。ジェイドが白い目を向けてもガイは気付いた様子がなく、目が爛々と輝いていた。

「すげーよなあ。俺もあんな細工がしてみたいもんだよ。それで指輪に使われている金属もかなり特殊のものみたいでな!きっとリヴァヴィウス鉱石やなんかも使われてるぞ、あれは!余程あの指輪を歴代までに送りたいものだったのかもしれないな。あそこまで加工技術に力を入れるってことはそういうことだ。それをするだけでも大変だってのに、さらに瑰麗な彫刻技術と来た!やっぱりシェリダンはすることが桁違いだ!」
「……歴代までに送りたいものというのだけは当たっていますね」

ジェイドがぽつりとつぶやくと、先程まで子供みたいにはしゃいでいたガイが引っ込んだ。

「ジェイドは彼女の事を知っているのか?」
「知っているも何も、彼女は有閑階級の方ですよ。それもかなりの権力を持ったね」

ガイはそれを聞くと大した反応も示さない。
約一年程、社交界に出ていないガイにとってそれは知らなくても仕方がないことのように思えた。しかしどうやらガイは随分シェリダンが好きらしい。
だからこそあんなにギンジとノエルと親しい訳かとジェイドは今やっと初めて事情を知ったのだが、ガイの前で絶対シェリダンやら音機関やらの単語は禁句だと肝に銘じる。

「私はだからこそあなたがあんなに親しく話したと思ったんですが…、違いましたか?」
「全くそんなことは知らなかったな。ま、どうせ亡霊に惚れるような女性はいないさ」

ガイは笑い飛ばすが、ジェイドはあの様子を見てどうしてガイがそう言えるのか逆に分からない。恋愛に興味も何もないジェイドですらあれはまさに恋に落ちたといってもいい出来事だ。なのに、ガイときたら、全くそんな気はないという。
ガイがもし理知的犯行でそれをしたのだとしたらジェイドは笑ってやるつもりだった。あなたも随分ロマンチストなんですね、と嘲笑ってやる予定だった。
だが、予想は大きく外れまさかの素面でガイはそれをしたというのだ。

「念のために聞いておきますが、あなたはよく女性に勘違いされたことはありませんでしたか?」
「……アニスやナタリアから言われたことがあったかな。それにティアも言っていたか」

ガイが遠い記憶を探るような顔つきになる。今までルークのことしか頭になかったことがこれを見るとよく分かるが、ジェイドはその答えがすぐ欲しかった。
ジェイドはあの時ルークが「女にでも言えよ」とガイに向かって言っていたのが気になっていたのだ。その場ではそれほど恥ずかしい台詞には聞こえなかったのだが、これはもしかするともしかするかもしれない。

「確かに女性が勘違いするような発言は慎めと言われた。特にナタリアはアッシュがいたからな。よく怒っていたよ」
「仲間以外で迷惑をかけたことはないということですね?」

ジェイドが確認するように言えば、ガイはそれに苦い顔つきになった。

「それがな……。俺は女性恐怖症だったから、女性とは極力遭わない生活をしていたんだ。もちろん女性は大好きだぞ!それに大分時間はかかったが、今は普通に女性に触れられるし、不便もない。だから迷惑をかけたことはないぞ」
「……」

それが大きな落とし穴なのだとジェイドは思った。
きっとガイが女性恐怖症というのは本当だろう。彼はたった五歳で姉に庇ってもらって生きながらえたと言った。そして彼の世界でもそれは変わらなかったと口にしている。そうしたトラウマが出来るのは至極当然のことである。
そして皮肉にもその女性恐怖症はガイを薄汚い女性のトラブルを起こさないように守ってきたのだ。
本人はかなり女性を触れられなかったことを気にしているようだが、むしろそれで丁度いい差し引きがなされていたのだろう。
あのたらしっぷりは相当だとジェイドはついつい憐憫な目を向けた。
ピオニーは自称誑しだからいいものの、ガイは無自覚だ。これから絶対的に苦労するのは目に見えている。今までルークのことでいっぱいだったガイは自分がどれ程軟派者であるか今から知ることになるのだ。
つまり、ジェイドが嫌がらせをする間もなく、ガイは自分で自分の首を絞めて自滅する。

「おいおい、旦那。なんだってそんな憐れむような目を俺に向けるんだ?」
「……少し女性に対して言動を気をつけた方がいいですよ。女性は少し突っぱねるくらいが丁度いいんです」

しかしガイはよりにもよって最悪な相手に手を出してしまった。
ジェイドはその先自分に火の粉が掛ることを想定して、ガイに注意を促す。
だが、ガイはそれに頭を捻る。

「何を言ってるんだ。女性に優しくするのは男として当然の務めじゃないか。それはあんただって同じだと俺は思っていたんだが?」
「確かにその通りです。ですが、勘違いする程、優しくするのは間違いですよ」

ガイは今一つ分からない様子だったが、一応頷いた。
ジェイドは忠告はしましたからね、と言うとガイの元を去っていく。

そしてガイはこれからまさかあんなことになるとは思ってもみなかった。



あとがき
ルークの屋敷でガイってメイドたちに囲まれていたり、バチカルに戻ったら戻ったでまたそこで女性に囲まれていたり、ほんと誑しだと思います。
「泣いてたのか?目が赤いぞ」、とか平気で口にするから気障なんですよね。
ルークはアニスに「嘘つけよ。涙の跡があるぜ」と口にしてアニスに「キザ〜。ガイみたい」と言われてましたが、ガイは相当ですよね。
それにルークの口調ってガイの言葉づかいを聞けば聞くほど、そのまんまだなって思います。
どうでもいいですが、リヴァヴィウス鉱石にするかナビメタルにするかで迷いました。最初はナビメタルかなって思ったなんですけど、世にも珍しい成長する金属とあってやめました。そんな危険な物指に付けてられない。


2011/05/22