07
ルークと合わなくなって早一月ばかりが過ぎた。 手紙を送っているものの、ルークから返事が来たことは一度もない。 前はどうして送ってくれないんだとやきもきしたものだったが、どうせ今回も公爵の手によって自分の手紙を渡されていないのだろう。 公爵はルークにそれ相応の身分を持った相手としか文通を認めない。自分は明らかに身分が低く、ルークと旅をしたという前科がある。 下手をすれば憤った公爵に手紙を燃やされているかもしれないが、ガイは小まめに手紙を送るようにしていた。 もしかしたらルークの目に留まることがあるかもしれないし、毎日勉強三昧のルークに少しでも慰めることが出来るならと思って、手紙を送る。 ガイはそんなことを考えながら例によって剣術の稽古を終えて、食堂へ向かおうと踵を返した。 ガイがいつも訓練する場所として選ぶのは、屋敷の裏庭だ。 ここは人が寄り付かず、ガイは人目を気にすることなく専念する打って付けの場所である。 だが、ガイが屋敷に入ってすぐの廊下で、メイドが一人立っているのが目に入る。 ガイは決まって屋敷で働いている使用人に声を掛けることを心掛けていた。 「おはよう。毎朝、早いね」 「旦那様、おはようございます!」 当初は酷く驚かれたが、今はこの通りごく普通に挨拶を返してくれるようになった。頑張った甲斐があったな、と思ったのだが、ガイはメイドに赤みが差すのに気付く。 「旦那様こそ、毎朝お稽古でお疲れではないですか?」 「日課だからね。やらないと落ち着かないんだ」 愛想笑いを浮かべれば、メイドは同様に笑い返えそうとする。 しかしそのメイドに気付いた別のメイドが慌ててこちらに走ってきて、ガイに笑顔を向けた。 「これは旦那様! おはようございます。今日もいい天気ですね!」 「やあ。おはよう」 ガイは取り敢えず、挨拶をする。 しかし相手の女性は明らかに先程ガイと挨拶を交わした女性を押しやって、自分の前にいた。いくら主に挨拶をするのが当然だと言っても、これはどう見てもおかしい。そして異様な視線を感じる。ここ最近はずっとそれを感じていた。よくよく遠くを見ればまた別のメイドたちがぎらぎらとした目を向けて、目の前にいる彼女二人を睨んでいる。 ガイも、いい加減この異様な空気が分からない訳ではない。 メイド二人が互いに牽制しあっているのは目に見えて分かる。それにこの視線の相手も同じメイドだろう。つまりは、屋敷で働く女性がなぜか自分に目をつけているのだ。 そして、これは屋敷だけの問題ではなかった。 ガイが宮廷に向かうと、遠巻きにそれを見ている女性たちが黄色い声を上げる。 一体何を話しているのかガイには見当がつかないのだが、ガイに聞こえよがしに貴族が言うのでそれが判明した。 「結婚をまだしていないからといって、手当たり次第に出すとは信じられぬ輩ですなあ」 「一族の存亡に関わる問題ではあるものの、これは目に余る行いですね」 なんと愚かな、と言われてガイはやっとジェイドの忠告が分かった。 つまりは、こういうことだったのだ。 さすがモテる男は違うよなあと憎まれ口をルークが叩いていたのが、今になって良く分かる。 当時のガイにとって女性は怖い存在であり、触りたいには触りたいのだが、先に恐怖を抱くものであった。 それを知っている親友であるルークはガイが女性たちにからかいの対象として囲まれても、お幸せに〜とガイを見て笑って見捨てるほどだった。 それをなんて酷いやつなんだとガイは思っていたのだが、実際そうではないのだ。 自分がこういう状況を作り、女性恐怖症がなくなった今はジェイドの言ったようにただの軟派男に成り下がっただけである。 以前なら女性恐怖症でデートが出来ないと断れたものだが、今は断る理由は仕事で忙しいで精いっぱいだ。 ただでさえ酷い嫌がらせが、日増しに酷くなる。それに加えて、女性たちがガイの休み時間を狙って押しかけてくるという二重苦だ。 十六年でいくら耐えることを覚えたといっても、女性の扱いはまるで分かってはいない。 「だから言ったでしょう。女性は少し突っぱねるくらいが丁度いいんですよ」 「……今になってそう思うよ」 ガイはブウサギを連れながら、ベンチに腰掛けたまま呻くように答えた。 ジェイドはその隣に座って、ガイが散歩するよう命じられたピオニーのペットであるブウサギがぶうぶうと鳴いている。 深刻に悩む青年と血も涙もない死霊使いと名高いジェイドが空々しい笑みを浮かべ、ブウサギに囲まれてベンチに座るのは実にシュールな絵面であった。 「陛下のブウサギのおかげで、俺は休みの時間も取れるようになったんだが、ブウサギ臭くなるのが少し嫌だな。身体をいくら洗ってもブウサギの匂いがするような気がするんだ」 「まあ、ブウサギは家畜ですからね。臭いのは当然です」 ジェイドはベンチに座りつつも、ガイから距離を置こうとする。 ガイは臭いなら臭いってはっきり言ってくれ!と言った後、深くため息を吐く。 「……一体どうすればいいんだ? 毎日、毎日、女性が朝を狙って声をかけてくる」 「贅沢な悩みですね。世のモテない男性が聞いたらあなたを殺しにかかりますよ」 ジェイドはからからと笑って、ガイは頭を抱えた。 「最近じゃ職場にまでやって来るんだ。いつも仕事で忙しいなら、仕事中でもいいからデートをしてくれと言ってくる。そんなこと出来る訳がないとこちらが言っても聞く耳を持たない。今日、本当にブウサギの散歩があって良かったと心底思ったよ」 「それはそれは大変でしたねぇ」 ジェイドの空々しい言葉に、ガイは顔を上げる。 ジェイドは明らかに他人事だったが、ガイは藁を縋るような思いだった。 「何か、いい考えはないか?女性を極力傷つけずに、それでいて俺を諦めてもらう方法はないのか?」 「一番いい方法はあなたが昔見せたような態度に戻ることです。それが嫌で人間性が疑われていいのなら、ホモだと公言することでしょうね」 「冗談じゃない! ……旦那は真面目に考える気がないのか?」 ガイは立ちあがって、げっそりとした顔をジェイドに向ける。 いくら鍛錬で体力があるガイといえども、精神攻撃の耐性は平凡並だ。 ルークのことが関われば非情にはなれるものの、普段のガイは一般人と何の差もない。 ガイが心労で倒れるのも時間の問題かもしれなかった。 「真面目に答えていますよ。これが一番穏便な方法じゃないですか。単に女性に興味がないといって、相手が納得してくれるはずがないのはあなたにだって分かるでしょう?」 「それはそうだが、何も衆道はないだろ」 ガイが顔を押さえる。ジェイドに聞いたのが間違いで、余計疲れてしまった。 そんな様子が見て取れたジェイドは軽く肩を竦める。 「あなたが誰に対してでも女性を平等に優しくするので、女性たちには優しい色男と思われ、遊び半分でデートを誘っているのがせめてもの救いですね」 「……あれのどこが、遊び半分なんだ?」 大半の女性は目が本気だったとガイは言っている。 さすがにガイも本気と本気じゃない差は長く生きただけはあって分かっていた。 ジェイドは目を逸らす。 「最近は少々火が付いているようですね」 「ほとんどの女性が本気なんだな?つまりそうなんだな?」 ガイが青い顔で言うと、ジェイドは立ちあがった。 「だから言ったじゃないですか。それくらいの尻拭い、自分でやってください」 「……」 ジェイドに返す言葉がなく、ガイは黙ったままジェイドを見送った。 だが、少し酷いのではないかと思わない訳ではない。ガイが協力したおかげでやっとフォミクリーが再び始動し始めようとしている。 目的がいくら同じだといっても、あまり協力を求めようとしないジェイドに代わってガイが積極的に声をかけて議員たちの考えを変えていったのだ。 あともう少しという所で、女性問題が浮上し始めた。 おかげでフォミクリー再始動案が停止状態になるという事態になってしまったがどちらにしろ、ピオニーが後は後押しするということでほぼ決定は確定済みだ。 けれど遅くなることは変わらないので、ジェイドなりに根に持っているというのか。 ガイはブウサギの綱をぐっと握り、ベンチを立ちあがった。 (結局は俺が悪いんだよな。でも、何が悪かったんだ?) ガイはどうして女性が好きになるのか分からない。 一番ガイの発言を注意してくれたのはアニスやナタリアやティアではなく、ルークだった。 「またおまえは、そういう勘違いされるようなことを……」とルークが顔を顰めて口にした前に自分は一体何か悪いことを言っただろうか。ただ、その前に「彼女の満面の笑顔、また見たいしな」と言っただけだ。それのどこが悪いのだろう。 素直に思ったことを言っただけだ。本当にその人の笑顔が良いと思ったし、また見たいと思った。何がいけないんだ。一生を終えても分からなかったガイが自分の発言がどれ程気障ったらしいのか気付くことはないだろう。 今は酷く苦しい状況で、出来ればもう女性に会いたくないのだが、日増しにガイを追いかける女性たちの数が増えている。 さすがにこうなると、声を掛けるのがいけないのだというのはガイでも分かった。 次からはどんなに困っていそうでも女性に声をかけないぞ、と思っても困っている女性を見ると声をかけるから、自分の首を余計に閉めるのだ。 完全に悪循環である。 傍目で見ていてジェイドはいい加減ガイが可哀想になってきた。 見るからにガイはやつれている。 アニスやティアがガイのもとにやってきても、最近じゃ仕事が忙しいからといってガイは断りだす始末だ。 毎回すまないね、とガイは苦笑いを浮かべて、アニスたちもすんなり引き下がっていく。 ガイが忙しいのは一目見て分かる。だが彼を好きな盲目な女性たちはそれに気付かず、あれよあれよとガイに言い募って来るのだ。 しかしアニスやティアが帰るせいで、マルクトでは女性たちのガイを巡った醜い熾烈な争いが水面下で勃発している。 仲間に興味がないというのなら、自分たちに望みがあると誰かが言い始め、それを我がものにしようと女性たちは躍起になっている。 せめてガイが誰かを好きになってくれれば済む問題なのだが、ガイが好きな相手を作るなど一生出来そうにない。 ならば適当に見繕って決めれば、全て丸く納まるような話だ。しかもこれは誰でもいい訳ではない。何かしらガイと親しい相手ではなくては難しい。 最初はそれをアニスかティアにその役目を担ってもらおうと思ったのだが、仕事で忙しいと知るとすぐガイのもとを去っていく彼女たちにはなかなか難しい。 そもそもアニスでは少々物足りないだろう。すぐに取っ手付けた彼女だということがバレてしまう。アニス本人には決して口が裂けても言えない言葉だ。 一方ティアは才色兼備で、申し分ないのだが彼女はそう言った嘘の類は苦手だ。 バレてしまうのは時間の問題である。 ナタリアはアッシュがいるので問題外だ。 となると、残る相手はルークくらいなのだが、ルークはどうもガイに好意を寄せているようなのである。 ガイの仮初の恋人として如何なくその役目を果たしてくれそうなのだが、問題があった。 ルークがガイを好きでも、ガイは好きではない。 ガイなら普通に接していても付き合っているような台詞を平気で吐くので問題ないが、それにすっかり翻弄された後のルークがどうなるかといったら目も当てられないものになるだろう。 それを考えると、ルークに頼むのはかなり気が引ける。 かといってこのままガイを放っておけば、精神的に疲れてダウンしそうだ。 ガイはなんだかんだで数少ない陛下の理解者であるし、調和を取ろうと尽力する。それは昔からそうだった。 亡霊と呼ばれている頃ですら、ガイはそこまで輪を乱そうとはしない。徐々に理解を深めていく方なのだ。 そもそも彼は保守派である。左翼に転ぶことはまずないといっていい。 つまり自分たちにとってとても利害の一致する、居てくれて助かる相手だ。 そんな彼が一時でも倒れるとなると、なかなかその後の仕事が大変だろう。 それに一度倒れたら最後、女性がお見舞いに殺到してガイは療養が療養にならない筈だ。 それはまさに絵空事のような出来事だが、ガイが素面で女性に気障な台詞を吐くのが悪い。なんだかその様子が今から想像出来てしまう。 ジェイドはさてどうしたものですかね、と大仰に肩を竦める。 月日が過ぎる毎に女性たちの熱意は増していく一方で、ガイの疲労も重なっていく。 そうしてかれこれ、三カ月が過ぎようとしていた。 あとがき オルゴールのイベントが結構好きです。 「音機関王ガイカイザーなのです!」 ドイツの皇帝の名を使う辺り、機械に強いということですよね。(辞書調べ) 音盤をゲットして届けると何気にガイがルークに皮肉を言うので好きです。 「物は大事にしないと。な、ルーク?」 つまりそれって屋敷では目茶苦茶壊してたってことですよね。そしてその尻拭いをガイがする屋敷時代みたいです。 |