08


ぼうっとする頻度が増えたルークに朗報がやってきた。

「ガイに会ってもいいって本当か?」
「ええ。もちろんですわ、ルーク」

ナタリアは微笑み、ルークは否応なしに気分が高揚としていく。
ここ一カ月、どうやって屋敷を逃げようかとばかり考えて来た。
しかしそれをする必要はなく、ガイに合うことが出来る。
それが嬉しくて、ついルークはナタリアに抱きついてお礼を述べようとするのだが、アッシュがルークの前に立ちはだかった。
ルークはこの時、なんだかんだで男として育てられた自分にナタリアを触れられてほしくないのかと考え、アッシュをじろりと睨む。

「なんだよ?」
「ただ、条件がある。マルクトの舞踏会に参加できる技量を身につけろ。でなけりゃ、グランコクマには行かせん」

ルークは目を丸くした。

「舞踏会って……この俺が?」
「そうだ」

正気か、とルークは訊ねるようにアッシュに言えば、彼は憮然と答える。
だが、アッシュはルークのダンスが壊滅的なのを知っている筈だ。
ルークは女性にしては長身であり、高いヒールを履いている。
その長い脚で思いっきり足を踏んで、ダンスの講師を何人も負傷させてきた。
以前気を揉んだアッシュがルークの講師に代わってやろうとしたのだが、案の定足を踏まれて二度とルークとは踊らないと一方的にキレてくる程だ。その時の怪我は全治一週間である。

「以前からピオニー陛下が和平に尽力したお前に会いたいと言っていてな。こちらもそう無下にできん相手だ。だが、会うと言っても公式の場に限られる」
「だからってダンスなんて出来ねーよ。どうせ足踏んでおしまいだって」

ルークがひらひらと手を振れば、ナタリアが柳眉を上げる。

「まあ、ルーク。ガイに会いたくはありませんの?」
「そりゃ、会いたいけどさ……。ガイがこっちに来ることは無理なのかよ?」

ルークとしてはガイにこちらに来てもらいたい。
ピオニー陛下に会ったらなんて言われるのか考えただけでも嫌だ。
それにフリングス将軍やセシル将軍に会いたくない。というか、マルクトにいる知り合いには絶対顔を合わせたくないのだ。
今までずっと仲間たちはルークの姿を見て酷く驚いている。ガイもその例外ではない。驚かれるのは当然だとは思うが、何度もそうあるとルークだって嫌になって来る。
それにガイにこの屋敷に来てほしいと思ったのは、それだけが理由ではない。
ガイの家宝である宝刀を返したいとルークは思っているのだ。

「無理に決まっているだろうが! 二度と奴にこの屋敷の敷居をまたがせん!」
「そんなの、おまえが決めることじゃねーだろ」

怒鳴ったアッシュにルークは睥睨する。
明らかに馬鹿にしたようなルークにアッシュは息巻く。

「何を抜かしてやがる! 父上がガイをこの屋敷に入れるとでも思ってやがるのか!?」
「そんなこと言ってねーだろ」

ルークは舌打ちする。アッシュは過剰なほどガイに反応し過ぎなのだ。
クリムゾンの方がまだよっぽどか理解がある。ルークを命を張ってガイが庇ったと言えば父は黙り込むのだ。その辺アッシュはまるでガイへの態度がなっていない。
ガイがいなかったらルークはこうしてここにはいない。それをすっかり忘れているのだろうか。
怒鳴るアッシュをナタリアが宥め、彼女はルークに萌黄色の瞳を向けた。

「ルーク。ガイをこの屋敷に連れてくることは無理ですわ。前にガイが来た時に使用人たちが怯えていたのをあなたもお忘れになったわけではありませんでしょう?」
「……わーったよ。俺がグランコクマに行けばいいんだな」

渋々ルークは承諾する。ガイに会えるだけマシというものだ。

「おい、屑! 分かってるんだろうな? マルクトで恥をかいたらただじゃおかねえぞ!!」
「ダンスのレッスン受ければいいんだろ? そんなに言われなくたって分かってるっつーの」

身を乗り出したアッシュをルークは一瞥すると、踵を返した。
これ以上アッシュと話す時間がルークには惜しい。時間が過ぎた分だけ、ガイに会える日が遠くなってしまう。

「ルーク、頑張って下さいませね! わたくし、よりを掛けてあなたのために料理を作りますわ!」
「げえ!?」

ルークは背後からかかったナタリアの言葉に思わず振り返る。
しかしナタリアはなにを思ったのか、汗をだらだらと流し始めたアッシュを見上げた。

「ご安心ください。アッシュの分もご用意いたしますわ」
「ナタリア……」

アッシュが食べる前から胃痛がするように腹を押さえた。
そういえばアッシュはナタリアと行動を共にした時に彼女の壊滅的な料理を口にしているのだ。
ルークはその時見ているだけだったが、ナタリアと一緒に旅をして彼女の料理を散々口にしたがどんどん拒否反応が酷くなるばかりだ。ルークはごくりと唾を飲み込んで、ナタリアに引き攣った笑みを向けた。

「な、ナタリア。おまえそんなことしてる暇ないだろ?」
「……確かにその通りですけれど、わたくしも頑張るルークのために何かして差し上げたいのです」

ナタリアが手を組んで、ルークを仰ぎ見る。
ルークは心苦しいのだが、やはり自分の命とは変えられない。

「俺は、いらないからさ。頑張ってアッシュの分だけを作ってやってくれよ。きっとアッシュもその方が嬉しいと思うし…」
「でもルークに何もしてあげられませんわ」

これでアッシュは確定した。
アッシュはぐっと顔を俯かせ、声なき悲鳴をあげている。
ルークはアッシュを嘲っている暇はなく、何としても阻止しようと額にじわりと汗を浮かべた。

「それだったら、ダンスのコツ教えてくれよ。俺こういうハイヒールにまだ慣れねーしさ!」
「ダンスのコツはある程度教えて差し上げられますけど、ハイヒールは解りませんわね。わたくしハイヒール以外の物を履いたことがありませんもの」

ダンスだけでもいいから暇な時に、とルークが懇願すればナタリアはやっと引き下がってくれた。
ルークは心の中でガッツポーズを取るのもつかの間、ナタリアがまたいらない親切心を寄越す。

「では、今度腕によりを掛けて御作り致しますわ。もちろん、アッシュの分もありますからね」

ルークは返事をすることができず、その場を去って行った。
ナタリアはルークが張り切っているものと思い、アッシュに何が食べたいのか悪気ない笑顔で訊ねるのだった。



こうしてルークはダンスの稽古を真面目に受けるようになるのだが、前途多難だった。
剣術の動きなら簡単にできるというのに、いざダンスの動きとなると固くなる。
リズムが取りにくいというよりはステップが難しい。
ステップのことばかり考えると今度はリズムが取れないといった具合である。
そもそもヒールでただでさえ足が動かしにくいというのに、このステップはなんなんだとルークは悪態をつきたくなる。
まるで人に足を踏め、足を縺れてこけてしまえと言わんばかりだ。
おかげでまた講師が足を痛めてしまい、ルークは一人でステップの練習をする羽目になった。
正直、相手がいないのにステップだけ取っていてもと思うのだが、講師の女性が睨むのでルークは口には出さない。
相手がいると想像してやってみてと言われた通りにルークはやってみるのだが、確認のために少し足の調子がよくなった講師の人を起用したら案の定また足を踏んだ。

「本当にあなたは呑み込みが悪いんですのね!」
「……すいません」

講師の女性が怒るのも当然で、ルークはただ悄然と謝るだけだ。
しかし女性はそんな態度を見せてもらってもねとルークを怒鳴りつけた。

「やる気はあるのですか!? あなたは王族の血を引いているのですよ! もっと自分の立場をお考えになりなさい! あなたは人の上に立っているのです! そのような醜態を民衆の前に晒すのですか!?」
「……」

ルークは返す言葉がなかった。こうしている間にも刻々と時間は過ぎていき、アッシュに交換条件を出してもらってから早二カ月が過ぎた。
このままではいけないとルークも自室でこっそり特訓をするのだが、うまくステップが出来ない。
アッシュやナタリアが一度お手本になって見せてくれたのだがあれは見事な物だった。
出来ない自分が情けなく、出来ないせいでガイに会えないというのが悲しくてルークはつい涙を浮かべる。けれど泣くのはあまりにもださいと思ってルークはぐっとこらえた。


そうして結局条件提示から三カ月が過ぎてもルークはできずじまいだった。
三カ月つきっきりで、この様となるとあの式典から半年後に開くと約束された舞踏会にどう考えても間に合わない。
もうすでにルークに選りすぐりのダンスの講師にレッスンをつけてもらったのだ。
この事実にアッシュは頭を抱え、クリムゾンは険しい顔つきになった。

「ルークを一体どうしたものか……」
「また怪我人を増やされても困ります」

苦い父の言葉に、アッシュが苛々した調子を隠しきれずに吐き捨てる。
何せアッシュはその犠牲者の一人だ。もうすでにこの屋敷ではハイヒールという履物がどれだけ凶器に変わるのか、皆痛いほど知っている。
そうして二人は青い顔をしたまま、溜息を吐く。
それをはた目から見ていたシュザンヌが、朗らかに口にする。

「では、ガイに教わってはどうでしょうか? 彼は社交の場でダンスを嗜むようですし、ルークから説明上手だと聞きましたわ」
「母上!」

アッシュは声を上げるが、シュザンヌはのんびりとした様子だった。

「実際ガイからルークの説明を受けた時は、とても分かりやすかったわ。もしも私が医者からその話を聞いていたら倒れていたことでしょう。でも、彼には思いやりがあった。ルークのことを本当に大切にして、それでいて私たちに混乱を与えないように、悲観しないように教えてくれたのです」
「……シュザンヌ」

一見シュザンヌはルークのことを思っているように聞こえる。
しかし、思えばシュザンヌはやけにガルディオスに好意的だ。
それを怪しんだクリムゾンは訝しい目を彼女に投げる。

「私はルークが望むことをしてあげたいのです。ここの家に縛り付けるのは間違いです、とガイが言った時、私はルークが望む様な事を何一つしてこなかったことを痛感しました」
「……」

それはクリムゾンにも言えることで、目を逸らす。
だがアッシュは違った。

「何を仰るんですか、母上。貴族として屋敷に縛られるのは当然の責務です」
「……だが、ルークは実に七年この屋敷に縛られ、外の世界を知らずに育った」

隣から聞こえた父の声にアッシュはぎょっとして振り返る。
クリムゾンは苦渋を顔に浮かべていたものの、息をゆっくりと吐く。

「ガルディオス殿に頼もう。……両親の我々より、彼の方がルークのことをよく思っている」
「父上! それが奴の策略だったらどうするのです!?」

アッシュはあの屈辱を忘れたわけではない。何よりガイには殺意があった。
今はあんな皮を被っているが、いつか長年丹念に研いて来た牙をこちらに向ける魂胆だろう。アッシュはそう信じて疑わず、クリムゾンの無責任とも取れる言葉に憤然とした。だがクリムゾンはアッシュを不憫そうに眼を落とす。

「アッシュ……、お前の気持ちが分からぬ訳ではない。だが、ここでダンスのレッスンをつけてもルークが上達するとは思えん。……私としても心苦しいが、貴族の名を傷つけるよりマシであろう?」
「それはそうかもしれませんが……」

これはまさに先程のアッシュの貴族としての務めが当てはまる。
クリムゾンは言い聞かせるようにアッシュに声を掛けた。

「ルークには、良い社会勉強となるだろう。今まで私が避けさせてしまった道なのだ。今からでも遅くない。だからこそルークに舞踏会に出てもらいたいのだ」
「……分かりました」

アッシュは苦く頷き、クリムゾンも厳つい顔をしていた。
シュザンヌは一人のほほんと笑って、早速ルークの元へと行って知らせますわねと口にする。二人はその場から動く元気すらなく、口惜しい様子でただただ悩んでいた。

ルークはノックの音がして、扉を開けるとシュザンヌがいて心底驚いた。
病弱なシュザンヌが部屋にやってくることはほとんどない。
一体何か会ったのだろうかとルークが思っていると、シュザンヌはルークの腰掛けるベッドの隣に座った。

「ルーク。あなたによい知らせですよ」
「なんですか?」

ルークは眉を顰める。大抵母のいい知らせはいい知らせではない。
例えばこのドレスがいい例だ。ルークはクリムゾンからずっとシュザンヌはお前が女だと言うことを知らないと言われ続けてきたのだが、母は知っていた。
ルークが気になってシュザンヌに訊ねれば、すぐに分かりましたよと母は答え、ルークにドレスを勧めてきたのだ。
それ以降シュザンヌはあなたに良い知らせがありますと言っては、ドレスを着せようとしてくる。ルークはうんざりしていた。

「あなたはダンスが中々上達しませんでしたね。そのことで良い知らせがあるのです」
「……そう、なんですか」

ルークは喉がひくつく。もしかして、舞踏会は中止になってガイに会う必要がなくなったというつもりだろうか。
ルークは胸がぎゅっと苦しくなって、目を伏せた。

「ダンスをガイに教えてもらおうと思うの。一足先にグランコクマへ行けるのよ」
「ほ、本当ですか!?」

ルークはシュザンヌに飛びつくように顔を見上げた。シュザンヌはゆっくり頷く。

「ええ。でもちゃんとダンスが出来るようになるのですよ。折角、クリムゾンが許してくれたのですから」
「はい……! 俺、ちゃんと出来るように頑張ります」

ルークは見るからに嬉しそうに顔を綻ばせ、頬がほんのり赤くなる。
シュザンヌはあらあら、と内心思って、ルークに微笑んだ。

「ルーク。また旅をした時みたいに楽しいお話を聞かせてね」
「約束します。じゃあ俺早速準備をしますね!」

ルークはベッドを立ち上がり、箪笥をひっかきまわす。
相当ガイに会えるのが嬉しいのねとシュザンヌはのほほんと思っていた。



程なくしてガイに手紙が届いた。
差出人がファブレ公爵で驚いたが、ルークのダンスのレッスンを書かれているのを見るとガイは思わず笑いがこみ上げる。今までの疲れが吹き飛んでしまう。

「あの馬鹿……」

くっと喉を鳴らしたガイに側にいたペールが不思議そうにガイの顔を見た。

「どうかなさいましたか?」
「ああ、ペール。ルークがこっちにくるらしいぞ。俺の屋敷で丁重に扱えとファブレ公爵からの頼みだ。急いで一室用意しないとな」

ガイの笑顔がいつもよりどこか優しげだ。これがルークに向ける笑顔なのかとペールがしみじみと思っていると、ガイは席を立ち上がった。
折角の休みで、屋敷に閉じこもってメイドすら厄介払いしたばかりだったのだが、ガイは最早そんなことは一切どうでも良いようだ。ペールはその後をゆっくりと追う。すると、ガイは自室の扉の前で立ち止まっていた。
ペールに振り替えることなく、ガイは訊ねる。

「また手を出したと言われても困るが、俺が側にいないとルークは守れないしな。まだキムラスカを快く思っていないマルクト人は多い。それが俺の屋敷に来たとなると、部屋が近いのは仕方がないか。ペール、お前はどう思う?」
「わしもその方が安心かと存じ上げます」

ペールがガイの隣に立った所で、ガイはペールに目を向ける。

「じゃあ、隣の部屋になるわけだな。この部屋に置いてある荷物を移動させて、一番上等なベッドを客室から移動させよう。箪笥は……まあ買うしかないな」

ガイはかなり楽しそうだ。こういったガイの一面を見るのはペールは初めてだったが、いかにガイがルークを大事に扱っているのかが伝わって来る。
早くペールはルークに会ってお礼を言いたいと思った。それはまさにガイと同じ気持ちだった。主はいつだってルークに会うことを望んでいる。



あとがき
実はシュザンヌ様はルークのことを知っていました。
クリムゾンは体の弱いシュザンヌがルークの性別が変わって帰って来たと教えたら彼女が倒れてしまうと懸念して教えなかったんですけど、すぐにバレました。
バレた方法は割愛しますが、シュザンヌはルークが女の子と知ってずっとドレスを着せたい衝動に駆られています。娘と一緒にドレスライフを送るのが彼女の夢だったのです。
一方ガイですが、あの昼ドラの中よく生きてたなって感じです。まあ倒れたらルークとの夢が遠のくのでそこは意地です。それにメイドを遠ざけるという手法とか取っていたので三カ月女性問題を自分なりに解決させようと必死だったようです。そして最終的にルークがやって来ることで疲れがぶっ飛んでます。
現金な奴というよりは、ガイにとってルークはガソリンの燃料か何かなんでしょうね。自分が動く為に必要不可欠な存在。ある意味アン●ンマンのような感じですかね。でも自分的にはメロン●ンナちゃんの方が嬉しいです。


2011/06/19