静穏


ベルケンドの街に着いて、アッシュの姿を探すが彼の姿はなかった。
ベルケンドに行けばアッシュに会えるかもしれないと思っていたが彼に会うとは約束していない。
この後はどうするとルークが言えば、ジェイドが口を開いた。

「そう言えば、スピノザという男がこの街でヴァンと組んでレプリカ研究をしていました」
「! 兄さんが……」

ティアは驚き、目を伏せる。ジェイドはそのまま続けた。

「ヴァンの目的はガイによって明らかになっていますが、私は彼を信用していません。ちょっと第一音機関研究所のスピノザを問い詰めてみませんか?」

仲間たちはガイをじっと見る。彼は黙ったままで、何ら反論しようとしない。
ルークはでも、仲間なのにと躊躇して目を這わせた。

「俺が疑わしいのならそうすればいい。スピノザに会って問い詰めるのは俺も賛同する」
「……分かった。行ってみようぜ」

ルークたちは第一音機関研究所に向かう。
そろそろ第一音機関研究所に差し掛かると思われた時、ルークはオラクル兵に辺りを囲まれた。
折角バチカルから逃げてベルケンドに来たというのに、また捕まってしまう。
ルークの額にじわりと汗が浮かぶ。するとオラクル兵の一人がルークに近づいた。

「バチカルでは派手にやってくれたそうですね、特務師団長!」
「……特務師団長?」

兵士の言葉にルークは疑問符を浮かべる。今までそんな風に呼ばれたことはない。
しかし兵士は声高に言う。

「ヴァン主席総長がお呼びです!出頭して頂きますよ。アッシュ特務師団長!」
「ヴァン謡将に会う絶好の機会です。ここは大人しく捕まりましょう」

ジェイドがルークに小声でいい、ルークはそれに頷きつつもジェイドのガイへの疑念っぷりには少し閉口した。

研究所の中に入ると、様々な音機関、演算機が立ち並ぶ。
ルークは以前アッシュが通った道とは別の部屋に通されて、戸惑いつつもどんどん奥へと連れて行かれる。
そうして一番奥まったところにヴァンの私室があった。

「アッシュ特務師団長を連行しました」
「兄さん!リグレット教官!」
「師匠!師匠はアクゼリュスで、俺を……っ」

兵士に連れられて、ヴァンの姿を目にするとティアとルークは叫んでいた。
兵士はそれに驚き、ヴァンはそちらを冷ややかに一瞥をした。

「……とんだ人違いだな。閣下、下がらせますか」
「いや、かまわん」

リグレットがヴァンに訊ねれば、ヴァンはゆっくりと立ち上がる。
兵士に出て行くように指示をして、兵士は戸惑いながらもその場を退場した。

「兄さん!何を考えてるの!セフィロトツリーを消して、外殻を崩落させて!」
「そうだよ、師匠!ユリアの預言にも、こんなことは詠まれてない……」
「ユリアの預言か……。ばかばかしいな。あのようなふざけたものに頼っていては、人類は死滅するだろう」

ガイの言うとおりどうやらヴァンは本当に預言を憎んでいるようだ。
吐き捨てるような物言いに、ルークはつい目を逸らしてしまうがナタリアが凛然とヴァンに立ち向かった。

「あなただって外殻大地を崩落させて、この世界の滅亡を速めているではありませんか!」
「それがユリアの預言から解放される唯一の方法だからだ」

預言の解放、つまりヴァンもガイと同じように預言を捨てようという考えだ。
だがヴァンのやり方は常軌を逸している。道を違えたというガイの言葉は当てはまる。

「死んでしまえば預言も関係ないですからねぇ」
「違うな。死ぬのはユリアの亡霊のような預言とそれを支えるローレライだけだ」

それをする為にヴァンはオリジナルを殺そうとしている。
だがローレライとはどういう意味なのか測りかねたアニスが疑問を投げかけた。

「ローレライって……第七音素の意識集合体?まだ未確認なんじゃ……」
「いや、存在する。あれが預言を詠む力の源となり、この星を狂わせているのだ。ローレライを消滅させねば、この星は預言にしばれ続けるだろう」
「外殻が崩落して消滅したら、大勢の人間が死ぬ。そしたら預言どころの話じゃなくなっちまうよ」
「レプリカがある。預言通りにしか生きられぬ人類などただの人形。レプリカで代用すればいい」

ルークの言葉を聞いてヴァンはレプリカとオリジナルを挿げ替える計画を認めた。
まさか本当にこんなことをしようとしているのか。仲間たちは絶句し、ガイだけは口を開く。

「フォミクリーで大地や人類の模造品を作るのか。馬鹿馬鹿しい」
「では聞こうか。ガイラルディア・ガラン・ガルディオス」

フルネームで名前を呼んだヴァンは真っすぐガイを見ている。
ルークはそれに少なからず困惑した。
まさかヴァンはガイを仲間に入れようとしているのではないだろうか。
ガイからヴァンは自分の従者だったと聞いている。
そのせいか、ヴァンの目は自分に向けたものとは大きく違っていた。

「ホドを消滅することを、預言で知っていながら見殺しにした人類は愚かではないのか?」
「愚かだといって人類を大量虐殺しようとするお前の考えは常軌を逸してる。大義名分にもならないただの殺人鬼だ」

ガイの答えを聞いて、ヴァンは口端を上げた。

「やはり貴公は私の邪魔をしていたのか。貴公がダアトに早々と姿を現したことも知っている。導師イオンを誑かしたこともな。それが分かっていても私が声を掛けなかったのは、貴公がマルクトに仕えているからだ。実に愚かだ。和平など結んだ所で何になる?たったそれだけで預言の呪縛から逃れられると思っているのか」
「お前の殺戮よりは幾分もマシだろう」

冷えたガイの声に、ヴァンは肩を竦めた。

「ガルディオス伯爵は代々我らの主人。私の気持ちが理解できるのは同郷であり主人である貴公一人だけだ。いい加減その夢想論を捨て、我らと共に歩んではどうだ?」
「俺は諦めない。お前も主人だと言うのなら、こんな馬鹿げたことはやめろ」

ヴァンの誘いをガイは突っ撥ねた。
しかしヴァンはそれを認めたくないようでガイに目を向けている。
緊迫した雰囲気の中、ルークたちの背後にある扉が乱暴に開かれた。

「来たようです」
「アッシュ!」

リグレットがヴァンに声をかけ、ナタリアはアッシュに振り返る。
突如として現れたアッシュにルークは驚いているのだが、ヴァンは動じた素振りもない。

「待ちかねたぞ、アッシュ。おまえの超振動がなければ、私の計画は成り立たない。私と共に新しい世界の秩序を作ろう」
「断る!超振動が必要なら、そこのレプリカを使え!」

アッシュはヴァンに怒鳴り、ヴァンはルークに見向きもしなかった。

「雑魚に用はない。あれは劣化品だ。一人では完全の超振動を操ることもできぬ。あれは預言通りに歴史が進んでいると思わせる為の捨てゴマだ」
「その言葉、取り消して!」

ヴァンの言葉にルークは身が引き裂かれるような思いだった。
自分の存在は預言だと思わせるためで、ただの捨てゴマだ。
ガイは違う道を切り開く為の存在だと言ったが、本当はただの捨てゴマなんだ。
ルークが悲痛な面持ちになってもヴァンは気に様子はなく、ただティアに目を向けた。

「ティア。お前も目を覚ませ。その屑と共にパッセージリングを再起動させているようだが、セフィロトが暴走しては意味がない」

ティアは武器を構えた。
それ以上ルークを罵ることは許さないというのと、やはりヴァンは殺すべきだと思ったのだ。
ティアが武器を構えれば、リグレットが素早くヴァンの前に出る。

「かまわん、リグレット。この程度の敵、造作もない」
「ティア。武器を納めなさい。……今の我々では分が悪い」

ジェイドに諌められティアは武器をしまったが、ヴァンを睨んだままだった。

「……ヴァン。ここはお互い退こう。いいな?」
「よろしいのですか?」

ヴァンにリグレットがその案を飲むのか訊ねた。ヴァンはそれに口端を上げる。

「アッシュの機嫌を取ってやるのも悪くなかろう」
「主席総長のお話は終わった。立ち去りなさい」

リグレットの言葉を受けて、ルークたちはその場を後にする。
ルークは自分が惨めなのか、なんなのか分からないまま歩いていく。
ただ、自分より、アッシュはヴァンから大切にされていて、自分はヴァンに毛嫌いされ侮蔑されているのは分かった。

外を出て、ジェイドがオラクル兵が追ってきていないことを確認する。
誰も追ってきていないところを見ると、ナタリアはアッシュに向き直った。

「アッシュ……。バチカルでは助けてくれてありがとう」
「そうだ。おまえのおかげだよ。ここまで逃げて来られたのは」

ナタリアとルークがお礼を述べると、アッシュは目を逸らした。

「勘違いするな。導師に言われて、仕方なく助けてやっただけだ」
「イオン様が!?」
「おまえたちに渡すものがある。宿まで来い」

イオンという言葉に驚いたアニスにアッシュはそれだけ言うと踵を返して歩いていく。
その後を追おうと思うが、ルークの足は止まり、ガイに向いていた。

「なぁ、ガイ。あの、さっきの師匠とおまえの話だけど……」
「…」

ガイとヴァンの口ぶりでは、彼らが会ったのは今回が初めてという具合だった。
お互いにその存在に気付いていたが、邪魔されるのを懸念して距離を取り続けていた。
けれど、ヴァンはガイの力が欲しいようで仲間に引き入れようとしている。
ルークはただ、ガイに仲間になんてならないよな、と聞きたかった。だが言葉が出ない。

「あなたは兄さんの計画を見事に見抜いていたわ。けれど、それは本当に仲間ではないと言い切れるの?」
「こちらが疑り深い事はご存知ですよねぇ」

ティアの訊ね方は悪かった。
仲間になれと言われていたけど、なるつもりはないわよねと聞いていたら良かったのに、ルークはそのせいで勘違いをする。

(…会ったのはこれが初めてじゃない?もっと以前から会ってて、ガイは師匠の計画に乗ろうとしてたのか?)

自分のいいように解釈してしまっていたのかとルークは恥ずかしく思うと同時に胸がぎりぎりと痛む。

「俺をヴァンの回し者だと思うなら、俺はおまえたちから離れる。それだけだ」

ガイの言葉にルークは慄然する。ガイがいなくなったら、自分はどうすればいいのだ。
あの時仲間だと思ったのに、そのガイが離れる。同じ目的を持っているのに、敵同士になる。
ルークはそれだけは避けたくて、ガイの腕を掴んでいた。

「……俺は、……ガイを信じる!」
「……いいのか?」

ルークが以前よりかなり切迫した様子で言うのだから、ガイはルークのことが心配になる。
ルークは目を伏せたまま、告げた。

「だって、俺はガイに信じてほしいからさ。俺が変わるってこと。それを見ててほしい」
「……そうか」

ルークは他のメンバーには散々変わるからと言ってきたが、ガイは急遽仲間になったことからそんなことを聞いたのは初めてになる。
けれど、全く変わらないルークの言葉に、ガイは胸が熱くなった。
絶対にルークを救いだしたい。その気持ちが強くなる。

「私も、ガイを信じるから…!だって、ガイがいなかったら今頃パパもママも、ずっと貧しい暮らししてただろうし。その辺は感謝してる…だから一緒に旅をしようよ。一人で総長になんて勝てるわけがないから和平を結びたいって思ったんでしょ」
「そうですわね。今までずっと一人で頑張って来たんですもの。ここでわたくしたちが離れては無責任というものです」

アニスとナタリアもガイが仲間にいることに寛容だった。
それにジェイドはやれやれと肩を竦める。

「儀礼的に疑ってみました。一応ね。そろそろアッシュが待たされ過ぎて痺れを切らしているかもしれませんよ?」
「…そうだな。宿屋に急ごうぜ」

ルークはジェイドに頷いて、宿屋に向かった。
宿屋の中にはアッシュの隣にノエルが立っている。

「ノエル!無事だったのか!」
「はい。アッシュさんに助けていただきました」

ルークは「アッシュに……?」と意外そうにアッシュの顔を見る。
ルークの足もとにいるミュウがぴょんぴょんと跳ねた。

「よかったですの!」
「ただアルビオールの飛行機能は、ダアトで封じられてしまいました」

申し訳なさそうにノエルが目を伏せると、ミュウはそれを聞くと耳がしなだれる。
ティアはそれに目を見張った。

「どういうことなの?飛べないのなら、どうやってここに……」
「水上走行は可能だったので、それでなんとか」

ノエルの言葉を聞いても、なぜだか分からない。
水上走行が可能であれば、飛ぶことだって出来るものではないか。
ルークが疑問に思っていると、ガイが口を開いた。

「浮遊機関を操作している飛行譜石を取り外されたのだな」
「じゃあそれを捜さないと飛べないのか」
「現状では船と変わらないのだろう」

それになるほど、と女性たちも頷いている。
疑問が解消された所でアッシュはジェイドに足を向けた。

「イオンから、これを渡すように頼まれた」
「これは創世歴時代の歴史書……。ローレライ教団の禁書です」

ジェイドはアッシュから本を受け取り、本のページをめくるなりそういった。

「禁書って、教団が有害指定して回収しちゃった本ですよね」
「ええ。それもかなり古いものだ」

ジェイドは熱心にページに目を走らせながら、アニスの問いに答える。
その横でアッシュが言葉を加えた。

「あんたに渡せば、外殻大地降下の手助けになると言っていた」
「……読み込むのに、時間がかかります。話は明日でもいいですか?」

ルークはジェイドに頼むよ、と告げると各自それぞれの寝室に向かった。
ジェイドは解読をする為にシングルの部屋を取っていて、ガイとルークはまたしてもツインの部屋だった。
シングルのベッドが二つ並び、ガイは荷物を降ろしている。

「どこか行くのか?」
「ああ」

荷物を下ろしたガイはドアノブに手を掛けている。ルークはそれを見て、少し気になった。
ここはヴァン師匠のいる街で、さっきはあんな話をしたばかりだ。
もしかしたらガイはヴァンの方に着くのではないか。ルークはそんな疑心が湧いていた。

ガイはすぐ戻るとも何も言わず外に出て行った。
ルークはその後を追うべく、部屋を出る。ガイは人混みに紛れ、裏手の細い道に入っていく。
ルークは周りを注意しながら、物陰に隠れながら、ガイの後を追う。
角を曲がるガイを追うと、ガイの姿がない。もしかして巻かれたのか。
ルークがあたりをきょろきょろしながら前進すると、裏手を出た通りにガイとヴァンの姿があった。
ルークは慌てて身を隠すと、ヴァンの声が聞こえる。

「ようやく呼び出しに応じてくれたか」
「…」

ガイはヴァンの言葉に黙っている。ヴァンは構わず言葉を紡いだ。

「何故、私の仲間に入らない?それともあのレプリカに何か夢でも見ているのか?」
「俺はお前のやり方が気に食わない。それだけだ」

同じ道であるのに、どうしてここまで違う。そうガイは言っているようだった。
ルークもつい目を伏せ見がちになるのだが、ヴァンは言う。

「私の方法ならホドは蘇るぞ」
「ホドは滅んだ。違うか?」

ガイは躊躇することなく、答える。ヴァンはそれを痛恨の念を滲ませて眺めた。

「……残念だ。貴公は私が剣を捧げた主。私と共に来ていただきたかった」
「主だと言うなら、こんな馬鹿な真似はやめろ。それが聞けないなら、剣は返す」

ガイの口調は淡々としている。けれども、ヴァンの事で胸を痛めているようにルークには見えた。

「……聞きません、ガイラルディア様」
「分かった。ならばもう、おまえとこうして会うことはない」
「……さらばだ。次にまみえる時は、貴公が主であったことは忘れ、本気で行かせてもらう」

ヴァンはその場を去っていく。ガイもそれを見ると踵を返した。
ルークは咄嗟にまずいと思い、慌てて宿屋に戻っていく。
信じると言ったその日の内に彼を疑うようなことをしてしまったからだ。
何としても隠さなくてはとルークは走る。
しかし部屋にルークが戻っても、ガイはいつまでたっても帰ってこなかった。



ガイが次に向かったのは第一音機関研究所だった。
またわざわざヴァンに会いに来たのかといえば、違う。
ガイはスピノザに会いにやって来たのだ。
ルークに付けた装置は未完といっていい。それでも慰め程度にルークにつけておいた。
少しでも大爆発を遅らせることが出来るなら、それでいいのだ。

ガイは研究所に侵入を果たし、スピノザの姿を見つけた。
スピノザは深刻な顔で頭を抱えている。こちらには全く気付いていないようだった。

「お前が、スピノザか」
「! 誰じゃ!?」

ガイが刀身を突き付ければ、スピノザの動きは止まる。
首元に刃物をチラつけられて、スピノザはどこか悟ったような顔だった。

「わしを殺しに来たのか?フォミクリーでレプリカを作ったわしを…」
「お前は完全同位体を作った。完全同位体には大爆発が起こるとされている」

ガイの言葉にスピノザは僅かに驚きつつも、目を地面に這わした。

「しかしあれは、憶測の域を出ておらん。もっとも、その文書を書いたのはバルフォア博士じゃがな」
「アッシュがお前に大爆発のことを聞きに来たはずだ。それでお前は確信したのだろう」

スピノザは目を見開き、ガイの顔を凝視する。

「わ、わしは知らん…。ただ症状を聞いてそういっただけじゃ」
「大爆発を止める装置を、作ってみたくはないか?」
「なんじゃと…?」

スピノザは縋るようにガイを見上げた。
スピノザもルークのことでずっと苦しんできたことをガイは知っていた。
だからスピノザの弱みに付け込んでずっとこの装置作りの一翼を担ってもらっていたのだ。
ガイ一人では到底こんなものは作れない。スピノザはガイの馬鹿げた夢に付き合わされた。
そして今回も付き合ってもらう。

「その代わり、誰にも他言するな。お前の仲間であるヘンケンとキャシーにもだ」
「しかしそやつらの力がなければ、装置を作るなど難しいじゃろう」
「装置のことは伏せて手伝わせればいい。―それと、ヴァンには言うなよ」

ガイが冷徹な目をスピノザに向けた。スピノザはごくりと唾を飲む。
スピノザの指先が震えた。まるでガイは氷のように冷たい目をしていた。
それはある種、ヴァンからスピノザへレプリカを作らないかと持ちかけられた時と重なる。
だが、ガイの目は明らかにヴァンよりもっと暗く、隠微なものを宿していた。

「ヴァンにこの事を知られた時は、お前の仲間の命はないと思え。そしてお前自身、その足一本もがれることを覚悟しておくんだな」
「…」

黙ったスピノザに、ガイは無言で了承しろと言ってくる。スピノザは項垂れる様にしてそれに頷いた。
ガイは明らかに手段を選ばないという様子だった。
この研究所に忍び込んでくるという周到さに、スピノザは抗う術がない。
きっとこのことを誰かに言えば、ガイは地の底までスピノザを追いかけ、そしてこの装置を完成させるだろう。
そんな思いで、ガイから研究資料として本を受け取る。
所々新しいページと古いページが混ざった本は誰かが作ったものだと分かるが、ガイに読むように促されてスピノザは目を通す。
そして大爆発を止める為のその画期的な方法に、スピノザは研究者としての魂に火がついた。

「作ってくれるか?」
「勿論じゃ!これはすごいぞ…!」

スピノザは興奮を抑えきれない様子で、その本に目を走らせる。
ガイはスピノザを信じたわけではなかったが、その装置が無事出来ることを祈った。

そうしてガイが宿屋に戻ると、ルークが風呂から出てベッドに寝間着姿で座っている。
ガイは仲間たちが夕食を先に仲間たちは済ませていると聞いていた。
自分も外で済ませてきていたのだが、ルークの姿には少しばかり驚いてしまう。
ガイに女性だとばれたからという理由でルークは胸を潰すのをやめたらしかった。
それに顔つきもなんだか違うように見える。しかしガイはそれをおくびにも出さず、無言で風呂に向かった。



夕食の時間になってもガイは帰って来ず、ルークはそれからもガイを待ったのだが帰ってくる様子はない。
だから風呂に入って、ベッドの上でそわそわしながら待っていると漸くガイがやって来た。
ガイはルークを一瞥したと思うとすぐに風呂へ行ってしまう。
ルークはつい先ほどつけたこともあって、声を掛けられずにいた。
ガイは気付いた様子はないが、やっぱり胸がやきもきする。
今はもうガイも風呂を上がって、部屋の明かりが消えていた。
時間だけが過ぎて行き、ルークの目は冴えていて、眠れる気配がない。

「…眠れないのか?」

ルークはその問いに答えず、目を閉じて寝たふりをしていると窓側のベッドにいるガイが起き上がった。

「いっとくけど、立ち聞きしてたことは知ってるからな。狸寝入りなら、やめとけ」
「…う゛」

ガイにばれていたのか。ルークは顔に痛みを走らせ、背中を向けているガイに謝罪する。

「ご……ごめん……。その……信じなかった訳じゃなくて……」
「ははは。まあいいさ。心配かけて悪かったな」

ガイがこちらに振り返り、少しだけ笑った。
月明かりが漏れ、丁度逆光した位置にガイがいてその顔はよく見えない。

「色々あって、ルークも疲れてるだろ。何か飲み物でも持ってきてやろうか?」
「え…。でも」
「いいからさ。俺がそうしたいんだ。じゃあ、ちょっくら行ってくるな」

戸惑うルークにガイは頭を撫でつけると、行ってしまった。
ルークは今までにないケースだと少しばかり驚いている。というか宿でもそうなるのか。
ルークが悶々と考え込んでいると、ガイが戻って来た。

「熱いから気をつけろよ」
「さんきゅ」

湯気が出るティーカップにルークは口を付けた。
程良い甘さとまろやかな舌触りにルークは目を細める。
温度は熱いと言った割に適温だった。

「これってココアか?」
「そうだ。眠れない夜には丁度いいだろ?」

向かい合わせに座ったガイが笑いかけてくる。
暗がりでよく表情が見えないのが残念だが、彼の言葉にルークは素直に頷いた。
そして本当は言おうと思っていなかったのに、ルークは気付いた時にはガイに口を開いていた。

「あのさ、ガイ。俺、ずっとヴァン師匠のこと不安に思ってきたんだ…」
「どうしてだ?ルークの剣術の師匠だったんだろ」

ルークはそれはそうだけど、と目を伏せる。ガイはルークの様子をじっと見つめた。
ルークは一体自分に何を言おうとしているのか、向き合うためだ。

「だけどさ、俺なんとなくヴァン師匠はそうなんじゃないかって…、俺の事見てないんじゃないかって思ってた。屋敷の奴らは皆、本当はアッシュのことずっと待ってるんだよ。ナタリアだってそうなんだ。いつも俺にプロポーズのこと思い出してくれって言ってたけど、俺にはそれがない。俺は…アッシュの代わりにはなれないんだ。それってつまり、俺って必要ないんじゃないのか。ヴァン師匠だってそう言ってただろ…?」
「俺は、そうは思わない」

不安げに揺れたルークをガイは真っすぐ見た。
青いその目にルークは吸い込まれるように目を向ける。

「俺にはお前が必要だよ、ルーク。それにお前今言っただろ。アッシュの代わりにはなれないんだってな。それでいいんだ。お前はお前だろ、ルーク」
「…ガイ」

必要と言ってくれたことも、自分は自分だと言ってくれたことも、酷く嬉しかった。
それと同時に安心する。自分を認めてくれる存在がこんなにも近くにいる。

「怖くなったり、不安になったりしたら、ため込まずに気軽に話してくれ。俺は、お前の話を聞いてやることしかできないんだからな」
「……ありがとう、ガイ」
「礼を言うようなことかよ。ルークは自分の足で立ち上がるしかないんだぞ」

それでもガイの気持ちが有難かった。
夜になれば、こうして親しく話してくれるもう一人のガイにルークは不思議な気持ちを抱く。
まるで今までそうやって親しげに喋って来たような気やすさが、ルークを安堵させ、傷ついた心を癒してくれる。
本当にずっと友達で、今まで傍にいたかのようだ。
そんなことを考える自分がおかしくて、コップを寝台の横にある卓におくと、ガイは言った。

「おやすみ、ルーク」
「…おやすみ」

ガイはルークの頭を撫でて、そのコップを持って出て行く。
撫でられたその感触にはまだガイの暖かさが残っていた。
ルークは横たわって目を閉じ、すぐに穏やかな寝息を漏らし始めた。



あとがき
アッシュがすぐに宿屋に来いとか言って去っていくんですけど、スーパーダッシュ文庫の小説版でナタリアが自分が臭いのかなって気にする描写があります。
あまりの臭さにアッシュは顔を顰(しか)めていってしまったんだ。そうナタリアは思って袖のにおいを悲しげに嗅ぎます。
ナタリアの純愛って見てると応援したくなりますよね。
固すぎるアッシュになっちゃんは勿体ないくらいです。
そういうのをこの話でもちょろっと入れたいと思ったんですけど無理でした。ど忘れというやつです。
ガイルクとかいいつつ、私はアシュナタも好きなのでこれから盛り込んでいくかもしれません。
下手したら二人より贔屓してするか、また忘れてしまいそうです(…)。
あとガイルクには欠かせないベルケンドで発生する「ガイとヴァン」を入れました。どうでもいいことですが、私は「ふいご」のイベントはやってもこっちのサブイベントを度忘れします。
宿屋に泊らないとイベントが発生しないし、しかも時間制限つきだともれなく忘れます。
一度は見てみたいもんです。シナリオブックでいつもこんな会話してたんだなって思いだすのちょっと悲しすぎるだろうが!(…)



2011/04/19