瞬き


アニスの両親はあっさり見つかった。ダアトの貧民街で細々と暮らしているのを見つけた。
どうやらアニスの両親は裏社会では有名らしく、金蔓(かねづる)にされているらしい。
少し裏口で話を聞けば、タトリン夫婦はいい財布だという話すら出てくる始末である。
当然のことながらアニスはまだ生まれていない。彼女とガイは八歳も離れているのだ。
この時点ですでに飢渇に苦しんでいる様子なのによくアニスを産む気になったものである。
ガイは襤褸布を寄せ合う二人組を側め、その貧民街を後にした。

ダアトに来て収穫があったのは導師になるべくイオンがローレライ教団に迎え入れられたということだった。
元はマルクト生まれらしいぞというのもガイは耳にした。
今現在彼にヴァンの影はないが、オリジナルイオンは病気で何れ死んでしまうと預言で詠まれている。
ガイはイオンの病のことを知らない。イオンの病が不治の病であることは明らかだ。
もし仮にガイがオリジナルイオンを助けようとすれば、ヴァンとのコンタクトは避けられない。
ヴァンに会わずに彼を自分の手駒にするという方法はあるが、どう考えても自分の動きを鈍くする。
利点もそれほどなく、ガイはオリジナルイオンを諦めた。



ガイはグランコクマに帰った後、何事もなかったかのように生活を送る。
剣術の稽古に、知識を身につけ、情報収集に、社交界に出る。
その間にヴァンが動きを見せていると思うと、居ても立っても居られない焦燥感に駆られる。
しかしガイはその間何もしてこなかった訳ではない。
ルークを救うために必要な装置を開発し続けていたのだ。
一度失くしてしまった設計図を何度となく書き直し、後は作ってみるだけである。
過去に戻れたことに感謝しているが、前に作った設計図を持ってこれない事だけが悔やまれた。
記憶を辿って完成した装置の図案が出来るまでに十年も時間を費やしてしまった。
しかもガイ一人で扱えるような研究施設はなく、あったとしても誰もこれを作ろうとはしないだろう。
自分で研究員を集めるにしても、財源がない。頼れる相手はいないに等しいのだ。
今から自分一人でその施設を作ったとしても、また何十年もかかってしまう。
その間にルークが消えることは目に見えていた。
それにガイにはまだやるべき事がある。ここは人を頼るほかないだろう。
ガイは自分を納得させ、謁見の間へと足を進める。
今回王宮に呼ばれたのは他でもない。ピオニー九世が皇帝に即位するための式典に呼ばれたのだ。



ND2014ともなれば、ガイはもう十七歳になっていた。
時間ばかりが過ぎていく。あと残り四年しかないと思うとガイは焦る。
ダアトでアニスを仲間にしなくては、そう思い貧民街に訪れた。
相変わらずそこでは襤褸をまとった人々がうろうろし、タトリン夫妻の家にガイは向かった。
狭い道が入り組んだ所であり、道端には人が転がっている。
ガイはその横を通り過ぎて、道を抜けた。この角を曲がれば、その家がある。
ガイが道を曲がるなり、金切り声が聞こえた。

「何するのよ!」
「だったら借金を返すことだな」

少女が地面に転がり、服は泥だらけで頬が赤くはれていた。
一目見れば、この男と悶着したことが分かる。
何せ男の手には給料が入ったと思われる封筒があるのだ。
そして少女の威勢は強く、男の腕に飛び付いた。

「返せ!私のガルド!!」
「失せろ、この!」

しがみついた少女を払おうと男は手を振り上げた。
少女は覚悟を決めて目を閉じる。しかし一向にその痛みはやってこなかった。
アニスが薄く眼を開くと、その男の手を掴むローブを被った男の姿が目に入った。
借金取りの男はガイに無理やり力でねじ伏せられ、少女から手を放してガイから距離を取る。

「な、なんだ。邪魔するのか!?」
「消えろ」

ガイは低くそう告げた。男は震える手でもしっかりと封筒を持ったまま、走り去っていく。
それを見た少女は声を上げる。

「あー!私のお給料が〜!!…ちょっと、あんた!どうしてくれるのよ!!」
「…」

一応殴るのを庇ったというのに少女の口から出たのは文句だった。
ガイが黙っていると、少女は小さくため息をつく。

「まあ、助けてくれたことはお礼を言うね」
「アニスちゃん!!」

アニスはガイに小さく笑い、掘立小屋からアニスの両親であるオリバーとパメラが駆けてくる。
彼らは揃って襤褸を身にまとい、アニスを強く抱きしめた。

「アニスちゃん、怪我はない?あらあら顔に怪我をして…」
「大丈夫かい?すぐに消毒しないと」
「ちょっと、パパもママも心配し過ぎ。それより、自分たちの怪我の方を気にしなよ!」

アニスの言う通りで、両親たちも所々に青あざがあったり、軽い切り傷が見られた。
ガイはそれをじっと黙って見ていると、オリバーが気付く。

「ああ、あなたがアニスを助けてくれたんですね。何かお礼をさせて下さい」
「パパはいいから、下がってて!私が彼にお礼するから!」

アニスがたまったものではないと言った様子で、オリバーの背中を押した。
このままではお金がないのにまた余計な支出ばかりが増えてしまう。
パメラの背中まで押して、アニスは二人を掘っ立て小屋に押し込んだ。
そうしてアニスはガイに振り替えった。

「…さっきはお礼って言ったけど、実は何もあげるものはないの」

アニスは目を伏せて、そう告げた。アニスは比較的両親よりはいい身なりをしている。
それでも襤褸には変わりはない。

「見た所、あなた結構裕福そうだけど、何か仕事教えてくれないかな?私、レストランでお手伝いしてるけど、お金がなくて困ってるの」
「…」

黙ったままのガイにアニスは作り笑いを浮かべた。

「あはは。そんなに甘くないよねー。とにかく助けてくれて、ありがとう」
「アニス」

アニスはその声を聞いて、ローブを被った男を見上げた。
余りにも冷たい声で驚いてしまうが、ローブから微かに見える口が動くのが見えた。

「お前に手伝ってもらいたいことがある」
「…冗談、とかじゃなくて?」

まさか、とアニスが目を丸くする。そんな上手い話しがあるだろうか。
しかし見れば見るほど、このローブの男は身なりがいいのが分かる。
かなり上等な革靴だ。まさか貴族様、とアニスが目を輝かせたのは一瞬だけだった。

「借金を肩代わりしてやる代わりに、導師イオンの導師守護役(フォンマスターガーディアン)になれ」
「…」

アニスは突然のことで言葉を失った。
この男は何を言っている。導師守護役はかなり名誉ある役職だが自分がなれるはずがない。
もしかしたら頭がやばい奴、とアニスは考えるがすぐにそれはないと首を振る。
そもそも出会った当初からこの男の様子は変だった。口数は少なく、ローブで顔を隠している。

「お前にとってもいい話だろう。この役職に着けば、借金は必ず返せる」
「…何が、目的?」

アニスは最初と違って、冷やかな目をガイに向けた。
ガイはそれを見て、淡々と告げる。

「和平のためだ。そのためにお前にパイプ役になってもらいたい」
「あんた、何者?」

只者ではない事は先程の動きで分かる。どう考えてもあの状況で男がアニスを殴れない筈がない。
なのに手の動きは止まった。アニスは殴られずに済んだのだ。
彼は相当の手練だ。だからこの男の言っていることには嘘はないのだろう。

「俺はマルクトでピオニー皇帝陛下に仕えるものだ。この件は俺の独断であり、陛下はご関与していらっしゃらない」
「ピオニー皇帝陛下!?」

アニスは驚き、その声がこだまする。
アニスはこんなことを大声で言うもおのではないとはっとし、慌てて周囲を見回した。
しかし相手の男は気にした素振りもなく、アニスに問う。

「手伝ってくれるか?」
「…あんたは怪しいけど、手伝うしかないでしょ。こんな美味しい話なんて他にないしー」

アニスは口を尖らせた。ガイは横目でそれを見て、また今度ここに来るとアニスに伝えた。
もうすぐ夕日が沈もうとしている。アニスはもう一度男を見上げた。

「ところであなたの名前は?」
「ガルディオスだ」

彼はそれだけ言うと、去って行ってしまった。アニスは変わった奴、と白い目を向ける。
アニスはこんな話を真っ向から信じた訳ではない。
しかし、アニスは翌日驚くことになるのだ。



アニスがレストランでのアルバイトが終わり、家に帰るとそこにはローブ姿の男がいた。
しかも親しそうに両親と談笑しているではないか。最もガイは笑っていないのだが。

「ちょっと、何してるの?!」
「やあ、アニス。帰ってきてたんだね。この方がどうしてもお前を士官学校に入れたいって言っているんだよ」

オリバーが破顔させて、アニスにそう言った。
話を聞くとどうやら、この男はアニスが一方的に殴られるのを見て子供には学が必要だと考えたらしい。
アニスくらいしか、入学金を払うことが出来ないがどうかこの話を受けてくれないかというものであった。
胡散臭い。どう考えても胡散臭いとアニスは顔を顰める。なのに両親ときたら、喜んでいる。
日頃の行いを見ている人がいるのね、とパメラは泣き笑いまでしていた。

「アニスちゃん、学校に通えるなんて良かったわね」
「僕たちはお金がないから諦めていたけど、アニスが通えるなんて!世の中にはこんないい人がいるんだなあ」

その一番のお人好しのオリバーは感心した様子でいい、アニスはじろりとガイを見た。
するとガイはオリバーたちに軽く頭を下げて、外に出る。アニスも無論、後を追った。

「つまりあれは本気ってこと?」
「そうだ」

言葉が短いガイにアニスはため息をつく。
必要最低限しか喋らない所がまた怪しい。
こちらで考える幅が広がるが、それはかなり彼が危険人物と考える幅が広がるばかりだ。
ピオニー陛下に仕えるといっていたことは紛れもない事実だろう。だから彼はこんな高価なものを身につけている。
それだけ分かっただけでも十分なのかもしれない。アニスはため息り交じりにガイに告げた。

「分かったよ。私は士官学校に入って、導師守護役になればいいんでしょ?」
「ああ」

あっさりといってくれる。アニスはガイをじろりと睨んだ。

「簡単に言うけど、どう考えても貧民の出の私がなるなんて無理でしょ」
「ならなかった日は、お前の両親がどうにかなるだけだ」

急に爆弾を投下されたような気持だった。アニスは瞠目する。

「え?」
「それ相応のリスクを負うのは当然のことだ。士官学校の登録はすでに済ませてある」

お前に拒否権はないのだ。突然そう言われて、逆らわない訳がない。

「そんな勝手な事言われて…!」
「お前はやるしか道はない。それが分からない訳ではないだろう」

ローブの下から覗いた青い目がアニスを捕えた。
本来なら真っ青な色をしているだろうその目は、今は真っ黒に染まっている。
アニスはその冷たさに息を飲んだ。

「必ず導師守護役となり、橋渡しをしろ。でなければ、両親の命はない」
「…」

脅迫されないと思わなかった訳ではない。
だが、まさか両親が人質に取られるなんて思ってもみなかった。
アニスが黙った所を見ると、ガイはそのまま去っていく。
その場に残されたアニスは泣きたいのか、叫びたいのか分からなくてその場にうずくまった。





「あなたの資産が随分減っていますが、一体何に使ったんですか?」

ガイがグランコクマに戻るなり、ジェイドはそう訊ねてきた。
どうやら陛下の管轄下にあるガイの資産の動きをジェイドは逐一チェックしていたらしい。

「何に使おうと勝手だろう」
「近々紛争が起こるので、その武器を買ったのかと思いましてね。ほら、この時期には多いじゃないですか」

ジェイドは嘯き、ガイは顔一つ変えない。

「お前がそう言うのなら、そうなのかもな。では、失礼する」
「…全く、嫌な相手ですよ」

やれやれ、といった具合にジェイドは肩を竦めた。
こちらとしてはそちらが厄介な相手なのだが、ガイはそれをおくびにも出さない。
それが余計ジェイドの神経を逆なでると知っていても、ガイは出さなかった。
ジェイドはどちらに転ぼうが、結局気に食わないのだ。



その翌年、ケセドニアの北部で紛争が起こった。ND2015のことである。
それに駆り出されたのはジェイドとガイだった。
ガイは十八になったばかりであり、戦場に出るきっかけとなったのはガイがシグムント流を習っていたに他ならない。
ジェイドは是非そのアルバート流を見せて頂きたいといってきたのだ。
昔ジェイドはガイの正体が明らかになった時にアルバート流を見たと言った。
恐らく今回もペールの剣術を見て、記憶していたのだろう。

「アルバート流剣術がどれほどのものか、見せて頂きますよ。」
「滅んだホドの流派に拘るとは意外だな」

ガイは言いつつ、腰に下げた帯剣に手を伸ばした。
眼下にはキムラスカの歩兵部隊が広がっている。この中にはローレライ教団の兵士の姿があった。
恐らくヴァンもいるだろう。ガイは冷ややかに見降ろす。その横でジェイドは声を張った。

「第一部隊、突撃!詠唱時間を稼げ!」
「おお!!」

ジェイドの号令に兵士たちが応じる。
乱戦が続くと思われたこの紛争は、マルクトの圧勝を収めた。
ジェイドの名はキムラスカにさらに恐怖を植え付けたことだろう。
そして、ガイも畏怖された。
ホドの生き残りであり、そこの領主であるガルディオス家のご息男だからである。
誰が言い始めたのかは分からないが、ガイはホドの亡霊と呼ばれるようになる。
安直なその名前だったがすぐにグランコクマで定着した。それがガイの字となった。

その名前は瞬く間に広がった。ホドの生き残りは忌み嫌われているのだ。
特にキムラスカ側はガルディオスの名を嫌い、亡霊とだけ言っている。

アニスのいるダアトにもその噂が流れ込み、あの男が亡霊だと呼ばれる理由も頷けてしまった。
彼は噂通り、冷酷な人間だった。出会った時もただならぬものを感じた。
それに彼はガルディオスと答えたのだ。間違いなく噂になっている人物と同一人物だろう。
とんでもない事に手を出してしまった。
アニスは後悔するが、元から拒否権はないに等しかったのだ。
何より彼は自分を最初から狙っていたような気がする。
何故なら士官学校に入学してから全て万事うまくことが進んでいるのである。
両親のことも、成績が優秀なアニスを目に掛けたトリトハイムが敬虔な信者だといって教会に住まわせてもらうことが決まった。
まるで彼はそんなことも知っていたようではないか。
そうなると彼の強引さのおかげとも言えるのだが、そんなあっさりと認められる訳ではない。
自分が導師守護役にならなければ、両親は彼の手で殺される。
その恐怖がアニスに張り付いて離れなかった。
もし噂通りなら、彼は両親の命を奪うことさえ躊躇わない亡霊なのだ。
アニスはぐっと手を握り締め、士官学校へ向かって走り出した。
両親を自分の手で守る。そのために、自分が頑張るしかないのだ。



あとがき。
アニスが今度は可哀想な目に遭ってますね。理不尽。
ジェイドは相変わらずガイを疑ってます。しかしよく十年も続けるな。かなり根気がある。
これからこの二人はよくガイに関わっていくんでしょうね。つまり振り回される。
いつも貧乏くじを引くのがガイだったせいで違和感が拭えないですね。



2011/04/12